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「別の世界に同じ境遇の人が」在日コリアンと沖縄、重なるマイノリティーの「痛み」 キリ学・短大学長 金永秀さん<ここから 明日へのストーリー>下


この記事を書いた人 Avatar photo 田吹 遥子
「日本社会にもさまざまな人がいることを伝えたい」と語る沖縄キリスト教学院大・同短期大の金永秀学長=西原町翁長の同大

 日本人と在日コリアンの青春を描いた映画「パッチギ!」の舞台にもなった京都市南区東九条。京都駅南側のこの一帯には在日コリアンが多く暮らす。韓国留学から帰国し、駆け出しの牧師として金永秀(キムヨンス)さん(64)が東九条の「在日」教会で活動を始めたのは、1985年のことだ。

 華やかな古都のイメージとは裏腹に、東九条の鴨川沿いには番地も付けられていないバラック小屋が並び、日雇い労働者が多かった。在日コリアンや被差別部落出身者と共にその地域にいたのが、アイヌや沖縄の人々。日本社会のマイノリティーが、身を寄せ合うように生活していた。金さんは「シンパシーも感じながら、さまざまなことを学び、考えさせられた」と振り返る。

 京都で3年が過ぎた頃、カナダの教会から研修の声が掛かり、マイノリティーについて学ぶ機会を得た。カナダ内陸南部、プレーリーと呼ばれる大平原にあるマニトバやサスカチュアンは、特に厳しい寒さが襲う地域。そこで出会ったのが、白人の入植以前からこの地にいた先住民族の一つ、ダコタの人々だった。

 米国やカナダには先住民族が土地を奪われ、白人への同化教育を通じて独自の文化が失われていった歴史がある。居住区を訪ねた金さんには、部族の価値を見失い、酒に溺れる先住民族の姿は、在日コリアンの歩みに重なった。「マイノリティーは精神的に阻害され、自分たちが何者なのかを見失う。全く別の世界に、同じ境遇の人々がいた」

 カナダから帰国し、愛知県豊橋市の教会で8年活動。40歳を前に米国に留学し、沖縄系米国人の友人もできた。留学資金がなくなりかけた頃、友人から沖縄の大学に求人があると教えられる。2000年、現在の沖縄キリスト教学院大学・同短期大学に赴任した。

 初めての沖縄もまた、在日コリアンと共通する抑圧や差別の歴史経験を持ち、そこから脱却しようと多くの人々が苦闘していた。

 太平洋戦争中の渡嘉敷島の「集団自決」(強制集団死)を体験し、戦後キリ短の第3代学長を務めた金城重明さん(91)の壮絶な体験は著書や新聞で読んだことがあった。「実際にお会いして、生きる意味や自分の苦しみと向き合ってきた金城先生もまた、自分が『何人』かを問い続けてこられたと思う」と語る。
 大学の授業では、関西弁を話す金さんを不思議がった学生から「先生は何人?」と聞かれることがある。在日の歴史や差別経験を説明するうち、「日本」や「日本人」として簡単にひとくくりにできない沖縄の歴史や自分のアイデンティティーを意識するようになる学生は多い。それは、金さん自身がかつて覚えた葛藤とも重なる。

 金さんは言う。「差別はその社会の構造から生まれる。さまざまな価値観が人々を無意識のうちに突き動かし、差別する者もされる者も気付かないことが多い。差別の原因とプロセスを分析できれば、人間としての価値を取り戻す大きな契機になる」

 日本社会や世界には、マイノリティーとして同じ痛みを持つ人々がいる。学びを通して人間に対する深みを持ち、それを理解することで世界は変わる―。学生にそう期待を込める。 
  (當山幸都)
  (随時掲載)