32軍司令部壕、調査中断26年…中央部への立ち入り実現せず


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
第32軍司令部壕の説明板=那覇市の首里城公園

 沖縄戦から75年余になるが、県や那覇市などの第32軍司令部壕の調査では中枢機能が集中していた中央部への立ち入りは実現していない。未到達のため保存状態も明らかになっていない。1993~94年度の県試掘調査で、第2・3坑道と第5坑道を試掘した。第2・3坑道は140メートル、第5坑道は150メートルまでそれぞれ試掘したが、その先は埋没していたため調査を中断した。95年度以降、調査費は予算計上されず、「中枢部に到達し、壕の全貌を明らかにする」という調査目的を達成できていない。

 大田昌秀県政は、外部有識者による「第32軍司令部壕保存・公開基本計画検討委員会」を設置し、97年「第32軍司令部壕保存・公開基本計画」を策定した。計画で保存・公開の意義として「沖縄戦の特徴である本土防衛・国体護持のための時間稼ぎの戦闘であったことを如実に示す場」と位置付け、歴史的価値の高い中枢部を中心に公開する方針を決定した。公開のための坑道を壕本体に沿って整備することを決めていた。一方、稲嶺恵一県政は、膨大な費用が必要との理由で保存・公開を断念していた。