「うちなー噺(ばなし)家」の藤木勇人(60)はコザ高校の36期である。沖縄の芸能と音楽に新風を吹き込んだ笑築過激団、りんけんバンドで活動した。現在、「志ぃさー」の名で、話芸を通じて沖縄を表現している。
61年、コザ市生まれ。「小学校7年、高校4年通った」と語る。
中の町小学校に通っている頃、交通事故に遭い、1年間療養した。熊本県の私立中学校を経て高校に進学したものの健康上の理由で1年の夏休みに帰郷し、翌春コザ高校に入学した。81年の卒業時には20歳になっていた。
「学校の雰囲気は良かったし、青春を謳歌(おうか)した」と在学時を振り返るが、同級生が2歳年下だったことが高校生活に微妙な影響を与えた。「自分は年をとっていると勝手に思っていた。大学で遊ぶという考えは嫌い。手に職を―という感覚だった」と語る。
卒業後、親の仕事を手伝っていた頃、笑築過激団と出合う。「芝居は小さな頃から好きだった」という藤木は、中学校の先輩に当たる座長の玉城満から役をもらい舞台に上がる。りんけんバンドにも加わり、芸能活動がスタートした。
「当時はアマチュア集団。飯が食えるとは思わなかった。親も安定した職を要望していた」。先輩の勧めで藤木は郵便局で働いた。その後、笑築過激団は注目を集め、りんけんバンドも人気を呼んだ。
90年代初頭の沖縄ブームの中、藤木は多忙を極めた。「5年間で体はぼろぼろ。いま辞めないと辞められなくなるという気持ちだった」。30歳手前で郵便局を退職。後に笑築過激団、りんけんバンドを離れた。2001年のNHK連続ドラマ「ちゅらさん」への出演でその名は全国に知られるようになった。
藤木は現在、東京と沖縄を行き来しながら一芸人として活動している。コロナ禍の中で今月、独演会をウェブ配信した。
卒業から今年で40年。「末の娘がコザ高校にいるんです。勉強も遊びも一生懸命。『楽しいコザ高校』は変わっていない。僕らも楽しかったし、娘も楽しんでいますよ」
ディズニー映画「モアナと伝説の海」日本語版で主人公モアナの声を担当した屋比久知奈(26)は68期。ミュージカル「タイタニック」「レ・ミゼラブル」に出演し、着実に活動の幅を広げてきた。
そんな中、コロナ禍に直面した。「公演が中止になったり、表現の場が少なくなったりした。正直、舞台に立てなくなるということは想像できなかった。それでも表現することを大切にしたい」
思いもしなかった事態に戸惑いながらも活動の場を守ってきた。昨年6月と8月、「ミス・サイゴン」をウェブでライブ配信した。
「舞台を届ける場が広がった。沖縄の家族や友人にも舞台を届けることができる。それは私の中でうれしい舞台の在り方だ」
幼少時からバレエを学び、舞台にあこがれを抱いてきた。新体操にも取り組んだ。
コザ高校の特進クラスに進み、同級生と勉学に励んだ。個性的なクラスメートとの出会いは財産となった。
「お互いを認め合い、刺激し合った。高校の3年間で今の自分が出来上がった。自分のことを見つけ、確立していく時期だった」
高校2年から3年にかけて米国への留学を経験した。琉球大学に進み、ミュージカルにも挑むようになる。2017年に「モアナと伝説の海」の大役に抜擢(ばってき)された。上京し、エンターテインメントの世界で実績を積んできた。
高校時代を振り返り「努力することはかっこいい」と語る。
「高校は義務教育ではない。部活も勉強も自分の意思で決めなければならない。努力すること、頑張ることを楽しむのが大事。努力すれば何かを得ることができるはずだ」
現在、ミュージカル「屋根の上のバイオリン弾き」に出演中だ。初日の2月6日、ツイッターで「皆さまの拍手が強く、温かく、胸に響きました。この日を無事に迎え、終えられたことに心から感謝です」と記した。
コロナ禍の中で、屋比久は新たな一歩を踏み出した。
(編集委員・小那覇安剛)
(文中敬称略)
(コザ高校編終わり)