ニューカレドニアの学校では小学6年生から第2外国語を選択する。第1外国語の英語の他に、もう一つの言語の習得が義務付けられている。スペイン語、イタリア語、ドイツ語などヨーロッパ系言語の他に日本語と中国語がある。日本語はスペイン語の次に生徒数が多い人気の語学だ。
多くの子どもたちが日本語を選ぶ理由は多岐にわたる。日本の文化や武道に強い魅力を感じる、漫画が大好き、太平洋にあるという地理的条件など、いろいろある。その中でもニューカレドニアで特徴的なのが、日系人である親や祖父母を喜ばせるためという理由だ。
オロール・ボナヴォンチュールさんも、そんな生徒の一人だ。1994年生まれの県系4世で、ヌメアの北約70キロの場所にある、人口3千人ほどの小さな町、ブルパリの出身。オロールさんは日本語を第2外国語にしたおかげで、日本を身近に感じた。オロールさんが通った中学がある隣町のラ・フォア市が山形県鶴岡市と姉妹都市になっている。ラ・フォア中学の日本語クラスの生徒たちは、市が企画する交流の一環として日本を訪れる。オロールさんも鶴岡市に行ったことがある。
その後、ヌメア郊外のグランドヌメア高校に進学した。2010年、高校2年の時に、沖縄県が主催するジュニア・スタディーツアーに参加した。初めて訪れる祖先の地、沖縄で温かく迎えられ、親戚に会った。祖母の異母兄弟、中村薫さんを見た時、祖母にそっくりだったので驚いたという。中村さんのお父さん、1世の名嘉村加那さんは1882年、与那城屋慶名で生まれ、1910年にニューカレドニアのニッケル鉱山に出稼ぎに来た。しかし、沖縄に帰ることはなかった。
オロールさんは、沖縄について「まるで自分がドラマの主人公になったようだった」と感想を述べた。日本語でニューカレドニアの紹介や自己紹介をした。沖縄から戻り、クラスに日本名誉領事を招いて報告会を行った。いつもはシャイなオロールさんも、伝えたい思いがあふれ出た。
26歳になったオロールさんは、この10年は学業と就職活動に明け暮れていたという。高等専門学校で経営と経理を勉強し、現在は通信事業関連会社で事務をする。「もう少しで正社員になれるので頑張っている」と顔をほころばせた。正社員になり、新型コロナウイルスの感染が収まったら、両親を連れて沖縄に行くのが今の目標だ。「それまで中村さんにはぜひ元気でいてほしい」と話した。
(山田由美子ニューカレドニア通信員)