金城雅春さんを悼む 差別、偏見と闘った人生 詩人・大城貞俊さん


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大城貞俊さん

 ハンセン病への差別や偏見と闘い続けた人生だったと思う。雅春さんの死は県内のみならず、日本中の人々から惜しまれるだろう。

 1990年、ハンセン病を題材に執筆した「椎の川」の時からお世話になっている。その頃はハンセン病に対する偏見や差別が強く残っていた。周囲からは「今さらハンセン病のことを小説に書くのか」との声もあった。しかし雅春さんは「包み隠さず、洗いざらい現状を伝えてほしい」と向き合ってくれた。雅春さんは作品を理解し、私を招き講演をさせてくれたこともある。表裏の無い性格で、自身の状況を包み隠さず、物事を積極的に発信していた。

 雅春さんは、ハンセン病国賠訴訟の時はいち早く声を上げ、先駆的な仕事をしていた。雅春さんとは、沖縄県ハンセン病証言集の作成時や、愛楽園交流会館の企画・運営委員会委員長としても関わらせてもらった。何ごとにも積極的に取り組み、非常にアイデアマンだった。

 私が琉球大学の教授だった頃はよく学生を愛楽園に連れて行った。これまで訪問を断られたことはなく、自由に見学させてくれた。「園の人々を勇気づけるため、学生のため」と快く引き受けてくれた。

 雅春さんは常に物事を多面的、多元的に考えていた。韓国には日本の統治時代に、ハンセン病患者を隔離した小鹿島があった。以前、その事実を知った時に話をしたことがあるが、雅春さんは当然のように知っていた。沖縄、日本だけではなく国際的な視野でハンセン病を学んでいた。

 愛楽園の入所者の気持ちだけでなく、外部の人が入所者をどのように見ているかも考えていた。ハンセン病を取り巻く状況に向き合い、改善に向けて取り組んできた人だった。ハンセン病の後遺症もあり、大変苦労されたと思う。これまでの労苦に対して敬意を表したい。
 (詩人・作家、談)