<評伝・金城雅春さん>「実名だから意味がある」まなざし今も ハンセン病差別、語り広げた


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愛楽園に地域の子どもたちを招いたイベントでテープカットする金城雅春さん(中央)=2017年12月、名護市済井出の沖縄愛楽園

written by 佐野真慈(宮古支局長)

 コップに入った真っ白な飲み物を渡された。「まず飲んでごらん」。薄い牛乳のようだ。青草の香りがほのかにする。「ヤギのミルクだよ。昔はよく飲んだんだ」。出来の悪い子どもを諭すように笑いながらそう教えてくれた金城雅春さんの顔に一瞬、さみしそうな表情がよぎった。帰ることができなかった古里の風景が浮かんだのだろうか。なんとも言えないその顔が今でも脳裏に焼き付いている。

 雅春さんとの出会いは2017年12月の取材だった。その後も愛楽園自治会長を務めていた雅春さんに同園やハンセン病関連の取材のたびに頼った。「また佐野か」と冗談を飛ばしながらも、メモ書きが追い付かないほど熱心に質問に答えてくれた。

 雅春さんは1980年に26歳で愛楽園に入所した。結婚していたが妻は周囲に責められ、離婚を選んだ。以来、41年の間、園で暮らした。ハンセン病問題を巡る国の法的責任追及と謝罪、元患者らの名誉回復などを求めた2000年のらい予防法違憲国家賠償訴訟(98年提訴、01年、原告全面勝訴)時は県内初の原告14人の一人として名を連ね、県原告団連合会副団長を務めた。

 裁判闘争が社会的運動に発展する中で「波風を立てるな」や「国のおかげで暮らしているくせに」との批判を元患者や社会から受けた。だが「声を上げないと我々の苦しみが分かってもらえないまま社会から忘れられる。国の過ちを正さないといけない」と報道に氏名を明かし、理解と協力を繰り返し呼び掛けた。

 氏名を明かすことについて悩まなかったかと聞いたことがある。「名無しの権兵衛じゃ話を聞いてくれないでしょう」とちゃかした後、私の目を真っすぐ見て「実名だから意味がある。痛みや苦しみを想像できる。そもそも名前を隠さないといけないような恥ずかしいことは何もないから」。きっぱりと言い切った。

 国賠訴訟後も自治会長としてハンセン病問題の継承、啓発に汗を流した。15年、元患者らの暮らしぶりやハンセン病問題を巡る社会の変遷を学ぶ場にしてほしいと園内に交流会館をオープンさせた。企画展や研修会などを通じて、ハンセン病問題だけでなく「人権」や「差別」などについて考える機会を社会に提供し続けている。

 交流会館が企画した研修会での雅春さんの講演で忘れられない言葉がある。「園があったから長生きできたという人がいるが、私たちは好きでここにいたんじゃない。社会がここでしか生きることを許さなかった。そんなおかしなことを社会が続けてきた。これを変だと思うことが人権を考える最初の一歩だ」

 人権を守る大切さを社会に訴え続けた雅春さんの思いが詰まった交流会館は開館から5年で約3万人が来館した。

 「元患者が差別を恐れず大手を振って歩ける社会の実現」という雅春さんの願いは私たち一人一人に託されている。家庭に職場、学校、それぞれの居場所で語り合い、差別のない社会を実現させることが私たちの宿題だ。