故郷は汚染土の中間貯蔵施設に 「もう戻れない」でも「いつか帰れたら」 


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出身地の福島県双葉町のことを「忘れてほしくない」と話す日高愛美さん=8日、那覇市

 沖縄県八重瀬町の日高愛美さん(32)は東京電力福島第1原発が立地し、全町避難を強いられている福島県双葉町出身だ。5歳まで住んでいた実家があった場所は原発から3キロ圏内の帰還困難区域にあり、原発事故に伴う福島県内の除染で出た汚染土などを保管する、中間貯蔵施設になる。「きれいな故郷の景色を子どもに見せたかったが、もう戻れない」。日高さんは目を赤くしながら語った。

 幼いころに家族で福島を離れたので、東日本大震災で被災はしていない。福岡の大学を卒業後、就職のため沖縄に移り住み、2人の子どもに恵まれた。双葉町には仲の良い親戚が住んでいて、休暇のたびに帰郷していた。

 双葉町は昨年、一部の地域で避難指示が解除された。2022年春から住民の帰還を目指す。だが復興庁の調査で帰還したいと答えた住民は1割ほどだった。

 震災から10年がたつ。日高さんは今も福島に住む親戚と交流を続けるが、傷つけることを心配して震災の話をすることをためらっている。親戚の力を借りれば、実家があった帰還困難区域内に一時立ち入りができるかもしれない。「本当は行きたいけれども、親戚の負担になるから言えない」と複雑な胸中を明かす。

 2人の子どもたちに故郷を知ってほしいと思い、日高さんは双葉町の復興のシンボル「双葉ダルマ」について教えた。双葉ダルマの一つ、「太平洋ダルマ」は太平洋をイメージした青色の縁取りの中に、町花の桜が描かれる。4月に小学校に上がる娘のランドセルには桜の刺しゅうが刻まれる。娘は刺しゅうを見て、「お母さんが一番好きな花なんでしょう?」と無邪気に尋ねてくる。下の息子も海を見ると「ダルマの青だね」と目を輝かせる。

 日高さんは「子どもたちには双葉のことを忘れてほしくない。『双葉に帰りたくないの?』と聞かれることがあるけれども、『もう帰れない』とは言えないから『いつか帰れたらいいな』と話している」と語った。

 最近、福島に住む親戚の一人が、日高さんにこう話した。「双葉はこのまま忘れられる気がする。忘れないでほしいな」
 (梅田正覚)