「福島の子と一緒に」いわき出身のキングス・船生、交流続け挑戦後押し


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キングスのホーム戦の前、靴ひもを結びながら気持ちを高める福島県いわき市出身の船生誠也選手=3日、沖縄市体育館(ジャン松元撮影)

 スポーツには、苦難に陥った人々に勇気や希望を与える“底力”がある。それは、プロバスケットボールBリーグ1部の琉球ゴールデンキングスに所属する船生(ふにゅう)誠也(27)が自覚する自らの存在理由の一つだ。東日本大震災で震度6弱の地震、沿岸部を襲った津波で多くの死者を出した福島県いわき市出身。プロ6年目。地域の子と交流する復興イベントに参加したり、地元の後輩の海外挑戦を支援したりと、故郷に夢を与え続けている。

 2011年3月11日。実家を離れ、群馬県前橋市にある前橋育英高校バスケ部の2年生だった。午後、体育館で練習前に監督の話に耳を傾けていると、小さな揺れを感じた。直後、「とてつもない揺れがきた」。震度は5強。校内の生徒全員が一時屋外へ避難した後、体育館に戻って練習を続けた。

 「お前、親に連絡しろ」。練習後に監督から告げられて、最大の被災地が東北だと初めて知った。携帯電話で母に連絡するが、つながらない。寮のテレビには、故郷を容赦なくのみ込む津波の映像が絶え間なく流れていた。「このまま親がいなくなったら、どうなるんだ」。17歳の心に影が差した。

 連絡が取れたのは2、3日後。実家はいわき市で内陸寄りの平赤井地域。揺れで家屋隣りの蔵は崩れたが、津波は到達せず、両親と妹2人は幸い無事だった。

 1、2カ月後、チームに東北出身者が多く、福島県南部の白河市にバスで物資を届けることになった。余震が続く中、被災者が身を寄せ合う避難所を回った。「ここで寝泊まりしているのか」「この先どうなるのか」。過酷な状況で生きる人々の姿は、今も脳裏に焼き付いている。

 青山学院大を3年で中退し、15年にプロキャリアを始めた。その年、いわき市で子どもと交流するチャリティーイベントが選手会の主催で開かれた。「この仕事の最大の魅力は人の心を動かせること。未来のある子に、いい影響を与えたい」と手を挙げた。「みんな元気で純粋だった。福島の子は目が違う」。プロ選手たちを前に、皆が瞳を輝かせた。

 父がコーチも務めるミニバスケットボールチームに、かつて所属した。帰省の度、このミニバスケの子どもたちとも交流する。「自分の手の届く範囲の子たちを助けたい」と考える。今は同じミニバス出身で、昨年高校を卒業後に渡米し、米プロバスケリーグ「NBA」入りを目指す四家(しけ)魁人の挑戦を、学費支援という形で後押しする。

 「当時10歳だった子が今20歳。福島に思いのある子たちと一緒に何かしたいですね」。直接触れ合ってきた子たちと共に、故郷の未来を切り開く。
 (長嶺真輝)