written by 稲福政俊
2017年は震災から6年を迎えた。「節目」の5年が過ぎ、「記者の派遣もやめどきだ」という声が編集局内にあった。
17年に福島、宮城、岩手の3県を取材した。原発事故があった福島では、故郷に帰りたくても帰れないという人々の話を聞いた。防潮堤や土地のかさ上げ工事が進む宮城、岩手では、新たな街づくりに向けた息吹も感じた。
福島では帰還困難区域の周辺を訪ねた。放射能に対する漠然とした恐怖が、福島産の農作物に対する嫌悪感を生み、農家を苦しめていた。「正しい知識を広めてほしい」という思いを託された。
岩手県で取材すると、小学生から「命どぅ宝」という言葉を聞いた。震災後に沖縄を訪れ、学んだという。小学生の住む地域は「奇跡の集落」と呼ばれていた。過去の津波被害で「低地に家は建てない」という教訓が生まれ、住民がそれを守った結果、東日本大震災では被害が少なかった。「津波も戦争も、何が起きたかを学べば、未来の命を救える」。小学生の言葉に、語り継ぐことの大切さを教えられた。
「震災後」はとめどなく流れ、数字の区切りに大きな意味はない。人々の思いを後世につなぎ続けることが大切だと実感した。
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未曽有の大災害から10年。琉球新報はこの間、延べ20人以上の記者を現地に派遣し、主な取材先となった沖縄県出身者らの視点を通じて被災地の現実を伝え続けた。あの日から変わり、変わらないことは何か。現場の今を報告し、派遣記者が現場の変遷を振り返った。