「またあの場所に住みたい」忘れない被災者の涙 何度でも思い返し伝える<東日本大震災・記者が振り返る10年>


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排水路の跡や住宅の基礎部分だけがわずかに残った土地。かさ上げ工事も行われている=2014年3月1日、岩手県大槌町

written by 田吹遥子

 だだっ広い土地に枯れ草が揺れる茶色の風景。2014年に岩手、宮城両県を取材したが、かつて街があったことが信じられず、被災前の写真と何度も見比べた。わずかに残る排水路の跡が、人の営みがあったことを伝えていた。

 宮城県七ヶ浜町に住む鈴木美智子さん(67)は津波で全壊し、基礎だけになった自宅跡に通った。故郷・沖縄に似た海が見える大好きな場所。「また、あの場所に住みたかった」。涙を浮かべて話す姿が思い出される。現在、自宅は高台に移転した。防潮堤で海は見えにくくなったが、「新しくなった七ヶ浜に来て」と声は明るかった。

 國井さおりさん(41)は生後6カ月の菜々奈(ななな)ちゃんを抱き、仙台市の被災状況を教えてくれた。毎年届く年賀状には、かわいい笑顔が増え、二つに。現地での取材後に2児の母となった。「子のため、自分自身の命の大切さも考える」

 日常の中で、震災の記憶や防災意識はつい薄れる。でも出会った人が語ってくれたつらい体験は忘れない。「自分の命を守るよう、沖縄の人に伝えて」と託されたことも。震災は人の営みを一瞬で奪った。被災地の教訓を何度も思い返し、何度でも伝えたい。

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 未曽有の大災害から10年。琉球新報はこの間、延べ20人以上の記者を現地に派遣し、主な取材先となった沖縄県出身者らの視点を通じて被災地の現実を伝え続けた。あの日から変わり、変わらないことは何か。現場の今を報告し、派遣記者が現場の変遷を振り返った。