祖父の故郷、自身のルーツに思いをはせ 福島・南相馬の復興の様子を一冊に


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福島の復興を願い写真集を出版した池宮城晃さん=那覇市久茂地の池宮商会

 東日本大震災から10年を前に、元写真記者で「池宮商会」顧問・代表取締役の池宮城晃さん(72)=那覇市=が震災後の福島県南相馬市で撮りためた写真集を自費出版した。池宮城さんの祖父は相馬郡小高町(現在の南相馬市小高区)出身。「原発事故で南相馬から避難して生活している人や震災を知らない子どもたちに、初期の復興の様子を知る資料の一つとして役立ててもらえたら」と話している。

 写真集のタイトルは「祖父のふるさと 福島県南相馬 震災復興初期」。2013年6月以降、3度訪れた南相馬の風景や除染作業、行方不明者の捜索の様子などを記録した。

 池宮城さんの祖父に当たる花井弘さん一家は戦前、日本が統治していた満州に渡った。そこで次女の澄子さんが沖縄から来ていた池宮城幸興さんと出会い結婚。1949年、那覇で晃さんが生まれた。

 福島の祖父とは1度だけ会った。晃さんが初めて福島を訪れた3、4歳の頃で、抱き上げてもらった記憶がうっすらと残る。晃さんは中学卒業後、福島県郡山市のおじを頼り、日本大学東北工業(現在の日大東北)に進学。下宿先の押し入れの写真雑誌をむさぼるように読み、写真の道に進むことを決めた。

行方不明者の捜索を終え、黙とうを捧げる人ら=2016年3月11日、福島県内(池宮城晃さんの写真集より)
行方不明者の捜索を終え、黙とうを捧げる人ら=2016年3月11日、福島県内(池宮城晃さんの写真集より)

 数多くの写真を撮影してきた晃さんにとって、震災後の福島は「いつか訪ねなければいけない地」だった。2013年6月にその機会が訪れたが、除染作業員や警備員の姿が多く「記憶にある街ではなくなっていた」と振り返る。

 その後も16年、17年と南相馬でシャッターを切った。行方不明者の捜索は続き、原発事故の爪痕が深く残る祖父の故郷。「無念としかいいようがなく、県外者の自分には歯がゆい」

 福島での東京五輪・パラリンピックの聖火リレーの様子も撮影し写真集に収める予定だったが、新型コロナウイルスの影響で延期となった。再び福島を訪れる見通しもたたず、震災から10年の節目で写真集を出版することにした。

 写真集は母校や恩師、福島の警察署、福島からの避難者らでつくる「沖縄じゃんがら会」など多くの関係者に寄贈した。「震災からの早期復興を願っている」。自身のルーツに思いをはせ、晃さんは写真集のあとがきをそう締めくくった。
 (當山幸都)