「あの日を忘れない。」
東日本大震災から10年目の3月11日、新聞やテレビにそんなフレーズがあふれた。被災地への思いを全国の人たちがもう一度、共有しよう、という呼びかけでもあるのだろう。「忘れてはならない」と私も思う。
ところが、その日、テレビでインタビューにこたえていた被災者のひとりの言葉に、ハッとさせられた。親族を津波で失ったというその男性は、「震災のことは思い出さないようにしている」と語っていた。生きていくためにはそうしなければやっていけない、といった内容の話もしていた。これもまた事実なのだろう。
最近、「沖縄戦や広島の原爆投下の経験者に話を聞く」という動きが高まっている。「聞き取りの記録が意外に少ない、その方たちが存命のうちに話を聞いておきたい」とある研究者が語る言葉に間違いはないとも思う。それは未来の平和のためのかけがえのない記録となる。
しかし、その中にはあえて語らないようにしていた人、思い出さないようにしていた人もいたのではないか。あまりにつらすぎる思い出を直面し続けることで、毎日を生きる気持ちさえ失いそうになる。だから、あえて忘れよう、考えないようにしよう、とした人もいたはずだ。
つらい記憶を忘れたい。そう考える人を責めてはならない。「話せばラクになりますよ」と無理やり話を聞き出すのは、かえって心の傷を深めることが研究でわかっている。当事者ではない人間にできるのは、「いいんですよ、忘れても。考えなくても。でも話したくなったらいつでも話を聞きますよ」と伝えることだけだ。
東北で、あるいは沖縄で、災害や戦争でつらい思いをした人たちのことを忘れずに心を寄せるのは、同じ社会に住む者としては当然のことだ。「もうすんだことだ」と置き去りにしてはいけない。
とはいえ、「忘れたい」という当事者の気持ちも大切にしなくてはならないのだ。「話したくなるまで待つ」ことも必要だろう。10回目の3・11に、そんなことを考えた。
(香山リカ、精神科医・立教大教授)