<書評>『島のことだま』 引き裂くものへの恨み


社会
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『島のことだま』森口豁著 南山舎・3850円

 真昼間の如く夜空を照らす月、山の上で祈る女性の姿。ハードカバーに描かれた絵は、すぐに民謡「月ぬまぴろうま」と野底マーペーの悲話と分かった。いとしい人に会わせぬのなら私の命を取りなさい、と神と駆け引きするいちずな女性の絵は、下嶋哲朗さんが森口豁さんの八重山への思いの集大成にささげたもの。今どきこんな抱きしめたくなる絵を配した箱入りの豪華本なんてめったにない。

 最初から、いい年をしたおじさん2人の(失礼!)濃密な八重山愛に包まれた本を開くのだから期待値もウナギ昇りだ。読者はまず30ページに及ぶ写真で半世紀前の八重山にタイムスリップすることになる。1950年代からカメラを持って沖縄の島々を旅していた著者の写真は、厳しい離島苦を写し出しながらも生活者の呼吸を捉えて温かい。

 森口さんは沖縄のドキュメンタリーを28本も制作してきた放送人の大先輩であり、ドキュメンタリー塾の塾長でもあったので私の師匠に当たる。彼が最も大事にしてきた八重山の地でも何度かご一緒したが、人と土地をここまで恋愛のごとく愛せるのかと感嘆したものだ。

 そんな八重山ルポをまとめる作業は、二度目のがん闘病中、最後の仕事と覚悟されたものだろうと読み進めたが、否、逆だった。人生で最も豊かな八重山との日々をなぞることで、まだ生きるぞ!と力を得て病魔を蹴散らしたのだと分かった。

 「尖閣の海は遠い昔から『閉じられた海』ではなく、周辺諸国の民が共に生き互いを認め合う『結びの海』だった」。63年に上陸して撮影した写真には台湾漁民の少年らの笑顔がある。民衆同士には何の諍(いさか)いもないのに国家が空と海に線引きし、生活者を困らせていると憤る。島々の声を本土がどれだけ聞き流してきたか。「私はすっかりヤマト嫌いになってしまった」と言うまでに、島々を引き裂くものの正体を著者は恨む。その危惧は「サキシマという肉体がグンジキチという悪性腫瘍に冒されている」という今に直結する。著者の八重山への憂いと愛に終わりはない。

(三上智恵・映画監督)


 もりぐち・かつ 1937年東京生まれ。琉球新報記者、日本テレビディレクターを経てフリージャーナリスト。著書に『だれも沖縄を知らない 27の島の物語』(筑摩書房)『米軍政下の沖縄 アメリカ世の記憶』(高文研)など多数。