【島人の目】多くの人に優しい社会とは


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 よく行くスーパーの入り口で、紙コップ一つを手にたたずむ男性を、久しぶりに見かけた。彼が再びこの場所に戻ったことに安心し、無意識にも彼の不在を心配していた自分にはっとした。これまで「たばこ代に消えるだけ」「知らない人だし、自分だって楽な身分じゃない」など、心の中での自問自答や言い訳をして無視していたが、同じ社会に暮らす人だ。少し勇気を出して、何度か小銭を紙コップに入れた。しばらくして彼はまたいなくなってしまい、もう長く見かけていない。

 私はその後、販売額の半額、約150円が販売者の収入になる、月刊の雑誌を路上で直接買うようになった。コロナ禍での収入減を思い、毎月買っている。記事を読んでいると、過去の飲酒が原因で仕事や妻子を失い、もう24年も雑誌を販売しているという、販売員の紹介記事に驚いた。彼が雑誌の販売場所と決めて立つ場所は私の自宅からすぐ近くで、そばにある路面電車の駅やドラッグストアは常に利用してきた。

 私はこの一角に暮らす約8年もの間、どれほど彼の前を通り過ぎてきたのだろう。もしかしたら目を伏せたり、足早になったりしたこともあったはずだ。

 小学校でお世話になった喜久川京子先生に聞いた「強さは優しさ」という言葉が胸に残っている。先生がどのような場面や文脈で話していたのかは残念ながら忘れてしまったのだが、真剣な表情で、大事なことだと私たちに伝えていた。

 周囲に関心を持ち、行動できることは強さで、その社会は多くの人に優しいのではないかと、最近は受け止めている。

 (ドイツ通信員)