60年余にわたり県内各地の戦跡で遺骨収集を続けてきた国吉勇さん(82)=那覇市=が24年前に浦添市のウフグチガマで見つけた「北見」と記名のある日本兵の遺留品が今月、故郷の福島県喜多方市に戻った。沖縄戦から76年、遺留品を受け取った姥堂遺族会長の手代木(てしろぎ)洋次さん(76)=福島県喜多方市=は「こんなことはめったにない。本当にありがたい」と感謝した。
遺留品は飯ごうのふたで、国吉さんが1997年2月に浦添市のウフグチガマで発見。横側に「北見」と彫られていた。国吉さんの活動に協力してきた沖縄蟻の会の南埜(みなみの)安男さん(56)が3年ほど前、国吉さんの「戦争資料館」にある10万点以上の遺留品から記名のあるものを調べた中の一つだった。
南埜さんが平和の礎(いしじ)の戦没者名簿を調べると「北見」姓は3人いたが、2人は宮古島や特攻部隊で戦死していた。そこで、残り1人の第62師団独立歩兵第23大隊に所属していた福島県喜多方市の「北見廣生」さんにたどり着いた。遺族が喜多方市にいないため、手代木さんが代わりに受け取ることになった。
持ち主が見つかったことに国吉さんは「遺骨も一緒にあったはずね。最高にうれしいよ」と感慨深げに語った。国吉さんは2016年に活動を引退しており、南埜さんは「国吉さんが見つけた遺留品の持ち主が見つかるのは最後かもしれない」と明かした。
飯ごうのふたは10日に手代木さんの手元に到着。手代木さんは遺族と相談した上で12日午前、遺留品を北見家の墓前に埋めた。手代木さん宅と北見家があるのは喜多方市の姥堂地域にある約10世帯の小さな集落だが、先の大戦で5人が戦死したという。手代木さんの父親もルソン島で戦死した。手代木さんは「北見さんの遺骨も見つかっていない。飯ごうだけでも見つかって良かった」と自分の家族のことように喜んだ。 (仲村良太)