座間味「集団自決」から76年で慰霊 刻銘碑前に今も涙、若い世代も「自分なら…」


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平和之塔の刻銘碑にある名前を指でなぞり冥福を祈る遺族=26日、座間味村座間味

 【座間味】沖縄戦当時に座間味村内で「集団自決」(強制集団死)が起きて76年となった26日、同村で村民や遺族らが平和之塔を訪れ、不戦を誓った。午前中には慰霊祭があり、新型コロナウイルスの感染防止のため、村長や区長ら7人のみが参列した。村では5年に1度、慰霊祭をしているが、昨年は新型コロナ感染防止で中止となったため、今年は規模を縮小した。

 同村に住む高江洲敏子さん(89)は刻銘碑に刻まれた次兄の宮平芳盛さんと3番目の兄、芳三さんの名前を指でなぞり、目を閉じた。芳盛さんは沖縄本島、芳三さんは鹿児島沖で戦死した。「母は『私が生きている間に遺骨が見つかってほしい』と話していた」と語り、戦没者の遺骨が残る本島南部の土砂を辺野古新基地建設に使う計画について「兄が眠っているかもしれない土を辺野古に埋めるのは絶対に嫌だ」と批判した。

 同村出身の上間寿子さん(62)=八重瀬町=は娘の風花さん(22)や姉たちと手を合わせた。父方の祖母やいとこ6人が「集団自決」で亡くなった。当時、出征兵士として外国にいた父は、祖母が「集団自決」に巻き込まれたことを最後まで語らなかったという。「幼い頃から父が酒を飲んで暴れる姿を見てきた。今思えば、苦しい思いをしながら生きてきたのだと思う」と涙ぐんだ。風花さんは「自分も当事者だったら同じように死を選んだかもしれない。命の尊さ、平和の大切さを伝えたい」と前を向いた。