「強制集団死」の犠牲者悼む 渡嘉敷村内、遺族ら鎮魂の祈り


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白玉之塔の前で手を合わせ、鎮魂の祈りをささげる遺族ら=28日、渡嘉敷村渡嘉敷

 【渡嘉敷】沖縄戦当時に渡嘉敷村内で「集団自決」(強制集団死)が起きて76年を迎えた28日、同村渡嘉敷にある白玉之塔では、雨の中、村民や遺族らが手を合わせ、鎮魂の祈りをささげた。新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、村主催の慰霊祭は昨年に続き中止となったが、追悼する遺族のために村は焼香台や供物などを設置した。

 1945年3月27日、米軍が渡嘉敷島に上陸。日本軍の命令で住民は島の北側にある北山(にしやま)に集められた。行き場をなくした住民は28日、極限状態の中「集団自決」に追い込まれ330人が犠牲となった。

 新里武光さん(84)は「集団自決」で2歳の弟を亡くした。新里さんは白玉之塔に刻まれた弟の名を指でなぞり、そっと花を手向けた。「自決の前日も今日と同じように雨が降っていた。毎年3月28日が近づくと、あの時のことを思い出す」と目頭を押さえた。

 「集団自決」で姉を亡くした、戦後生まれの男性(70)は深々と頭を下げて合掌した。「幼子だった姉は、母に抱かれたまま手りゅう弾の破片に当たって亡くなった。生前、母は姉のことを話そうとはしなかった」と語った。

 田原豊子さん(93)は孫、ひ孫らと一緒に訪れ「集団自決」で命を落としたおばといとこに向けて祈りをささげた。「戦前、いとことはよく遊んでいて、きょうだいのように仲が良かったさ。戦争は絶対に駄目だよ」と語り、子や孫、ひ孫に囲まれた、現在の平和の尊さをかみしめた。