一中健児「顕彰碑」、ひめゆり「部隊」…教科書が誤り 沖縄戦の美化に体験者ら危機感


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 文部科学省の高校教科書検定に合格した明成社の「歴史総合」が、沖縄戦などで亡くなった県立第一中学校(現首里高校)の学徒を慰霊する目的で建立された一中健児之塔について、功績としてたたえる「顕彰碑」と紹介していた。また、ひめゆり学徒隊を「ひめゆり部隊」と記述しており、関係団体はこれらの記載に「誤っている」と反発した。同教科書が「沖縄県職員や一般県民も加わり、軍官民一体となって激しい戦闘を続けた」と記述したことにも、「軍が官民を巻き込んだのが沖縄戦だ」と、沖縄戦を美化するような表現に警鐘を鳴らした。

県立第一中学校の学徒や職員を慰霊するために建立された一中健児之塔と刻銘版。刻銘版には「御霊を慰め、かかる事が再び起きない様に永遠の平和を祈念する」と記されている=29日、那覇市首里金城町

 一中健児之塔は1950年4月30日、養秀同窓会によって建立された。同窓会が発行した「一中健児之塔沿革」には「旧沖縄県立第一中学校戦死職員生徒の慰霊塔を同校同窓会の浄財により建立」と記されている。

 同窓会によると、30日午前、明成社から連絡があり、「顕彰碑」は「慰霊碑」に直すと伝えられた。碑を撮影したことにも「あらかじめ連絡せずに使ってしまった」という。

 同窓会の中今純事務局長は「一中健児之塔は、彼ら(亡くなった学徒)のような犠牲が二度と出ないことを願って建てられた。顕彰碑とすると、彼らに続けという印象があり、全く逆の意味になる」と本紙取材に語り、誤った表現が教科書に掲載されそうだったことに危機感を覚えた様子だった。

 「ひめゆり部隊」の表記について、30日午後3時現在で、ひめゆり平和祈念資料館に同社からの連絡はないという。普天間朝佳館長は「沖縄戦体験者は『部隊』という言葉を使わないでほしいと話していた。部隊というと、あたかも一緒になって戦闘に参加したようなイメージを持たれるが、そうではない」と指摘した。

 過去には、ひめゆり学徒が銃を持って戦う映画が公開された。県内マスコミに「部隊」を使わないよう要請するなど、同館は「部隊」と表記しないよう注意を払っていた。

 普天間館長は「軍官民一体となって」という記述にも「法的根拠がないまま、多くの住民が動員され、亡くなった。沖縄戦認識の重要な部分に誤りがある。間違えたのか意図的にそうしたのか分からないが、教育の場で誤った認識が広がることは非常に大きな問題だ」と危惧した。