<書評>『大主の国遊び物語』 琉球芸能への熱情軽やかに


社会
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『大主の国遊び物語』勝連繁雄著 編集工房〈風〉・1500円

 本書は詩人・作家・琉楽演奏家・評論家・芸能研究家として独自の立ち位置で活動する勝連繁雄の小説だ。

 ナンクル国の大主がタルー兄・神村正太郎。大主は権力者・支配者にあらず共同体の智恵袋であり、現代の長者だ。正太郎はハウスボーイやトラック運転手など米軍関係の仕事を経て、妻の実家である質屋を継いだ。古典音楽の師匠でもある。若い頃空手で米兵に先手必勝の攻撃を夜な夜な繰り返したこともある。戦前・戦中・戦後の具現者だ。ナンクル国の住人は公務員、民謡酒場の亭主、元学生運動家、新聞記者など個性豊かな面々。芸能公演や文化フォーラムも開催する。「ユタと語ろう会」では全島各地から老若男女20人のユタが集合し世相を語り合った。正太郎は娘の加那美とアメリカ人のリンカーンの結婚の条件に「かぎやで風」の習得を設定する。芸能は越境できるのか。

 著者は詩集「風の神話」で赤犬子を風、湛水親方を海、平敷屋朝敏を鳥、玉城朝薫を舟として登場させ、時空を越えて魂の対話を成立させた。優れた沖縄芸能論となっている。

 本書でも一貫しているのは「いとしさよめしゃうち かなしさよめしゃうち」の心の交流であり、対話なのだ。他者をいとおしく思い、大切に思う。慈しみ合い、違いを認め合う仲間が建国したのがナンクル国である。著者は彼らを通して琉球芸能への警鐘も鳴らす。芸能が真に沖縄の地に根差していれば盗まれることも奪われることも恐れることすらないと語る。一方でその生命が舞台にのみとどまり、魂は軽くその血は薄められてはいないかと問いかける。

 生活と心と美が一体であったからこそ生まれた琉球芸能への静かな熱情が軽やかに時にユーモラスに描かれていく。全編に音楽が流れているような勝連イズムを感じる。本書は演劇として沖縄芝居として舞台化されるにふさわしい作品だと思う。時に古典音楽の通訳として次世代に語り継いできた著者がコロナ禍にあって見せた意地と誇りをも伝える作品となっている。

 (崎山律子・那覇市文化協会会長)


 かつれん・しげお 1940年北谷町出身。第25回山之口貘賞受賞。詩集に「風の神話」「火祭り」、小説に「記憶の巡歴」、芸能関係著書に「琉球古典音楽の思想」「組踊の世界」「琉球舞踊の世界」など。