沖縄戦当時の本部町、次世代に伝えるには 「遺骨帰す会」が議論


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 【本部】沖縄戦で米軍の攻撃を受けて本部町沿岸で沈没した輸送船「彦山丸」に関する討論会(主催・本部町健堅の遺骨を故郷に帰す会)が3日、町内の合同会社健堅で開かれた。昨年2月、朝鮮人2人を含む14人が埋葬された民有地で発掘作業に当たったが、遺骨は見つからなかった。同会は民有地で広域かつ長期間の発掘を続けるのは困難と判断し、解散を決定。「次につなげるためにできること」をテーマにパネリストらが議論した。
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戦跡巡りの新たな方法を提案する中山吉人さん(左端)=3日、本部町の合同会社健堅

 同会事務局の中山吉人さんはフェイスブックを通じて、遺骨発掘作業の様子を幅広く発信した。「地元の人、観光客が気軽に参加できる戦跡巡りなどあれば良い。戦争について考えられるコースづくりをしたい」と柔軟な発想を示した。

 本部町議の仲宗根須磨子さんは、八重岳野戦病院跡が「野ざらし」となっている状況を受けて「町と協力してきれいに残していきたい。二度とこのようなむごい戦争を起こしてはいけないと伝えなければ」と力を込めた。

 「町民の戦時体験記」(町教育委員会)編集委員を務めた友利哲夫さんは、激しい戦闘があった真部山の昔と現在の写真を示し、「戦時中の本部の写真は少ない。戦争の凄惨(せいさん)さを実感してもらうためには、写真を見てもらい戦跡を巡るのが良い」と提案した。元町議会議長の島袋吉徳さんは「戦争の記憶が、時代の流れで風化しないようにしたい」と述べた。