1960~70年にかけて、サトウキビ収穫のため、台湾から多くの女性労働者が南大東島に渡り、機械化が進んでいなかった島で大きな役割を担った。台湾の南華(なんふぁー)大学(嘉義県)の邱琡雯(きゅうしゅくぶん)教授は2006年から約14年かけて女性たちを取材し、このほど一冊の本にまとめた。当時の社会構造や、出稼ぎ先での女性たちの営みを記録し、今につながる沖縄と台湾の関わりを追った。
台湾からの女性季節労働者については、南大東村誌などにも記録があるが、全体像はこれまで知られてこなかった。邱さんは、嘉義県大林に住む元女性季節労働者21人と南大東島の住民ら約40人を取材した。
台湾から南大東島への出稼ぎは67年に始まり、72年の日台断交まで毎年平均500~600人が来島した。最も多い69年には年間700人を超えたという。邱さんは「戦後、南大東のキビ産業が復興する一方で、本土の経済成長に伴い労働者が県外に流出し、人手が不足した」と解説。台湾と沖縄は戦前から人々が頻繁に行き来していたことや、台湾には熟練したキビ刈り労働者が多くいたことを出稼ぎの背景に挙げた。
長年、出稼ぎや移民など「女性の移動」をテーマに研究してきた邱さんは「取材を通して、出稼ぎの経験によって主体性を培っていた当時の女性たちの姿が見えてきた」と話す。南大東島の住民と台湾の女性それぞれにインタビューし、双方の視点に立って研究を進めた。邱さんは「2000年以降も仕事などで台湾から沖縄へ移り住んだ人は多くいる。今後の『移動』の研究にも期待したい」と話した。
邱さんの著書「離・返・留・守―追尋1960~70年代沖繩的臺灣女工」(春山出版)は、南大東村商工会の助成を受けて出版。南大東島と関連する部分は日本語に翻訳され、同商工会で保存している。(呉俐君)