西部劇から見るアメリカ 先住民虐殺をどう描いてきたか<アメリカのつくられ方、そして今>


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 奴隷制度と同じくアメリカの歴史的汚点は、先住民「インディアン」の虐殺である。インディアンを題材にした多くの作品が制作され、それを時系列で見ると変遷が分かる。

 西部劇の映画史を代表する傑作として評価された、ジョン・フォード監督、ジョン・ウェイン主演の映画「駅馬車」。駅馬車に乗り合う乗客たちの人間模様が細やかに描かれ、コンピューターグラフィックス(CG)やスタントもなく、超スピードで駆ける駅馬車と騎乗のアパッチたちのアクションが見どころだ。

 だが一つ疑問が湧く。アパッチは、なぜ駅馬車を攻撃するのだろうかと。理由が何も示されておらず、インディアンは単に奇襲攻撃をする悪党で、主人公は強く正しい白人であり、応援に来る騎兵隊も正義の味方であると言うのが初期の西部劇の定番だった。小学校の頃、西部劇が好きで見ていたが、インディアンは悪者だとインプットされ何の疑問も抱かなかった。当時の映画界は、白人に都合の良い内容で反インディアン思想を世界に広め、巨額の利益を得ていたのだ。

 1950年に制作された「折れた矢」は、戦いを好まず平和を求めるインディアンと白人の和解に奔走する男性を、ジェームス・スチュアートが演じている。これまでの白人は善、インディアンは悪の勧善懲悪の内容が疑問視され、反発が起こり従来の西部劇が衰退していった。その背景には黒人の公民権運動の影響があった。

 64年の「シャーマン」は、インディアンを悪党として数々の作品を生み出した、西部劇の神様ジョン・フォード監督がざんげの思いを込めてか、強制移住させられたシャーマン族の悲劇の歴史を撮った。フォードはインディアンをスタッフや俳優として起用し、経済的に困窮していた彼らに仕事を与え感謝された。

 その後、白人は「侵略者」、インディアンは「犠牲者」の形の西部劇が制作され、ダスティン・ホフマンの「小さな巨人」やキャンディス・バーゲンの「ソルジャー・ブルー」では史実のインディアン虐殺が描かれた。民族浄化のためとして、インディアンの老若男女が騎兵隊に無差別に銃撃された。勝利品として死体の頭皮を剥ぎ、手足を切断し装飾品を奪う残虐な行為があった。これまで頭の皮を剥ぐ行為はインディアンの慣習とばかり思っていたが、実は白人がアメリカに持ち込んだもので、インディアンがそれに対抗し報復として行うようになったのが真相のようだ。

 154本の出演映画のうち、79本が西部劇だったジョン・ウェインの功績をたたえ、カルフォルニア州オレンジ郡の飛行場の名前がジョン・ウェイン空港と名付けられ、銅像もターミナル内に設置された。だがあるとき、生前に雑誌の取材に応じた際のウェインのインディアン、黒人、LGBTへ向けられた差別的で過激な発言が拡散した。白人至上主義を信じると断言したウェインを人種差別者とし、多様な観光客を受け入れる空港の名前にするのはふさわしくないと、改名への動きがある。

 一方で、マーロン・ブランドは「ゴッドファーザー」のアカデミー賞主演男優賞受賞を、ハリウッドにおけるインディアンをはじめマイノリティーへの人種差別への抗議を理由に拒否した。ブランドは、インディアンをはじめアジア人の描き方の問題を指摘したのだ。それ以降、ステレオタイプの描かれ方が改善された。受賞ボイコットの批判を受けたブランドは「後悔していない」と語った。
 (バージニア通信員)