<書評>『交差する辺野古 問いなおされる自治』 「決定権なき決定者」の選択


社会
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『交差する辺野古 問いなおされる自治』熊本博之著 勁草書房・3960円

 本書は、辺野古集落に住む人々が、普天間基地移設問題といかに対峙(たいじ)してきたのかについて描かれた辺野古抵抗史である。

 2010年5月、辺野古区行政委員会は、普天間代替施設の辺野古沖への建設を条件付きで容認する決議を行った。著者は「なぜ辺野古は、自らの生活環境の悪化につながる新たな基地の建設を、条件つきながら容認しているのか」と本書で問う。その問いに、17年以上にわたり通って体得した辺野古の生活の論理と時間から迫る。

 外から見ると辺野古は基地受け入れについての判断が首尾一貫せず、住民が分断されているように映るかもしれない。しかし、本書を読めば、辺野古住民は自らの生活を守るという点で、その意思は一貫し、また共有されていることが分かる。辺野古から見ると、日本政府のやり方の方が、支離滅裂でその場限りの対応であることも明白だ。

 第一部は普天間基地移設問題の経緯が詳細に記録される。これは、本書の基礎となり、またそれは忘却を狙う政府への抵抗となっている。第二部では、基地移設問題を辺野古住民はいかに経験してきたのかについて描かれる。そこで強調されるのは、辺野古住民は普天間代替施設は「来ないに越したことはない」と考え、決して受け入れに賛成しているわけではないという点である。住民は生活を犠牲にして訴えてきた。その訴えは、反対派にも賛成派にも都合よく利用された。県外移設を公約とした政党が政権を取っても、反対派の市長や知事が当選しても、県民投票でその意思が示されようとも、結局は土砂による埋め立てが目の前で進められている。この状況でも辺野古住民の生活は今後も続く。

 「決定権なき決定者」として、辺野古住民は生活を守るために、多少なりともベターな補償を獲得しようと政府と交渉する。読者はこのことを理解しなければならない。辺野古の生活を尊重することと、基地建設に反対することは、決して矛盾しない。

 (打越正行・社会学者)


 くまもと・ひろゆき 1975年宮崎県生まれ。明星大人間学部人間社会学科教授。著書や寄稿に「米軍基地文化」「政治が沖縄にもたらしたもの」「カギ括弧を取り外した辺野古を描き出す」など。