新学習指導要領で変わる歴史教育 「問い」の立て方が重要に<沖縄をどう学ぶ>下


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 いま歴史教育が、制度的に大きく変わろうとしている。新しい学習指導要領のもとで、高等学校の歴史科目は、「歴史総合」という必修科目、選択科目として「日本史探究」「世界史探究」というカリキュラムとなる。なかでも「歴史総合」は、これまで「世界史」「日本史」と二つに分けられていた歴史科目を、18世紀以降―近現代を対象として、両者を「総合」して学ぶことを目的としている。学習の仕方も「主体的・対話的で深い学び」を求め、「思考力、判断力、表現力等に関わる事項」との相互関係をより深めようとする。生徒たち自身が「問い」を立て、思考し、表現し、歴史は暗記科目である、という思い込みから解き放ち、歴史を生き生きと学ぶということを目標とする。

 2022年度からの実施を目指して、教科書の検定結果が発表され、準備も本格化している。「歴史総合」教科書を入り口に、歴史教育の動向を探ってみよう。教科書「を」教えるのではなく、教科書「で」学ぶということがいわれる。その通りだが、最初の歴史叙述として生徒が接する教科書には、歴史教育のねらいが込められている。三つの点を指摘しておこう。

新たな視点

展示内容をリニューアルしたひめゆり平和祈念資料館。2022年度から使う教科書検定に合格した「歴史総合」の教科書の一部では「ひめゆり学徒隊」を「ひめゆり部隊」と表記した例があった=糸満市伊原

 第一は「歴史総合」では、新たな歴史的な視点が打ちだされているということ。ここでは「近代化と私たち」「国際秩序の変化や大衆化と私たち」「グローバル化と私たち」という項目のもとで、近現代200年の歴史を学ぶ。「近代化」では「国民国家」の形成の過程が議論され、「大衆化」では「総力戦」と「大衆社会」が両輪となっていることが特徴づけられる。「グローバル化」ではいまに連なる歴史的背景が探られる。

 こうした認識のもとでは、あらためて沖縄の歴史的経験の理解がカギとなる。沖縄が、明治政府により、武力をもって日本に組み込まれた「琉球処分」は、国民国家形成のあり方として、広く世界史の中で解釈される。沖縄の経験であるとともに、国民国家が形成されるとき、住民の意向を無視して暴力が伴った動きがなされる、と学習することとなる。

 沖縄戦も、「総力戦」という戦争形態での経験であり、軍人のみならず民間人が戦争に動員されること、そこで「大量死」がもたらされたことを知る。そして、基地問題も、新たな国際的関係の中で持つアメリカの戦略と重ね合わされ、広くグローバリゼーションの中で把握される。(しばしば、政策として展開される)中央の論理ではなく、地域の観点から歴史を見据え、「近代化」や「大衆化」「グローバル化」がもたらす問題点から歴史を考察するのである。沖縄での出来事が、固有の経験であるという認識とともに、世界の歴史の普遍的な動きの中で考えるという姿勢である。

大きな違い

 むろん、これまでもそのように実践してきたとはいえる。だが、第二点にはこのことを明示したうえで、学習方法と結びつけ学習する点に「歴史総合」のねらいがある。すなわち、「歴史総合」では「問い」と「問い」の立て方が重視される。そもそも歴史を学ぶときには「問い」があり、そこから「歴史像」という「解答」を導き出していたが、この科目では解答に先立つ「問い」を生徒自身が、あらためて考えることをいう。

 「問い」を重視するとは、A「沖縄で人びとは、いかに戦ったか」とB「沖縄で人びとは、いかに戦わされたか」の違いに目を向けるということである。この問いの違いによって、沖縄戦の歴史像は大きな違いを見せる。Bからは、日本兵は沖縄の人びととどのように向き合ったか、という問いも出てこよう。同様に、アメリカ軍の投降勧告に対し、ガマによって住民たちの対応が分かれたことの違いも、Bからは、なぜその違いがみられたかを問いかけとしてもつこととなる。いかに沖縄戦を学ぶか、どのような観点から沖縄戦を学習するかを「問い」として表現するのである。

認識を深める

 第三は、記憶のありよう―記憶の伝達にかかわる。第一の点で指摘した、沖縄戦を「総力戦」と把握することは、当事者にとっては違和感も生じよう。この点は、戦争経験が、「体験」を語る時期、「証言」を発する時期を経て、いまは「記憶」として論じられることと対応している。「歴史総合」では、沖縄戦の経験を「記憶」の段階の中で、伝達することとなる。

 しかし、このことは「体験」として語られたこと、「証言」として提供されたことを手放すということではない。逆に、それらを踏まえたうえで、沖縄戦の経験を伝えるということに他ならない。世代によって捉え方が異なるのだが、そのうえで何を伝えていくのか。ここでも「問い」が重要となって来る。

 「記憶」ということは、誰もが当事者になり得ることを意味する。沖縄戦の学習が、歴史教育にとって欠くことのできない理由である。このとき、同時に大切なことは、「あらゆる言辞が許されているのではない」ことの学びである。この点を知ることが、歴史教育の使命であり、目的といってもよい。

 しっかりとした根拠を持ち、議論をして自らの認識を深めていくことが、「歴史総合」の営みである。動員された沖縄の人びとを「部隊」と表記することなどは、正確さを欠くとともに、「問い」が不完全であることによっている。


 

成田 龍一

 成田龍一(なりた・りゅういち) 1951年大阪市生まれ。早稲田大大学院博士課程修了。日本女子大学名誉教授。文学博士。専門は近現代日本史、歴史学。著書に「戦後史入門」など。