32軍の県出身者、戦死率92% 留守名簿に398人記載 動員の6割は10~20代


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旧厚生省が1971年に作成した第32軍司令部(球第1616部隊)の県出身者だけをまとめた留守名簿(佐治暁人氏提供)

 沖縄戦を指揮した第32軍司令部(球第1616部隊)に所属する将兵らの氏名や生年月日、出身地などを記した「留守名簿」を巡り、1971年に旧厚生省援護局調査課が沖縄県出身者だけをまとめた「留守名簿(沖縄)」の全容が判明した。軍作成の名簿から抜け落ちていた、学徒や住民を中心に少なくとも398人の氏名が記されている。記載された人の戦死率は9割を超えた。398人のうち10代が最多で全体の4割を占め、軍属は3割に上った。

 この留守名簿(沖縄)は、沖縄戦を研究する大阪経済法科大学アジア太平洋研究センター(CAPP)の佐治暁人客員研究員が2017年に国立公文書館に請求し、公開された。佐治氏は「17歳未満の男子学徒、女子学徒、地域住民の大規模な動員は、十分な法的根拠がないまま有無を言わせずに行われたことを裏付ける公文書であり、貴重な史料だ」と指摘した。

 今回とは別に、第32軍司令部の留守名簿には、45年1月に日本軍が作成した約1千人余の「留守名簿(南方)」もある。徴兵検査を受けずに動員された県民の多くは、この留守名簿(南方)から抜け落ちていた。 戦後、旧厚生省は遺族年金支給などのため、沖縄戦に動員された県出身者の被害実態を調査し、留守名簿(沖縄)を作成していた。

 本紙が確認すると、留守名簿(沖縄)に記載されたのは10代と20代が中心で、合わせて全体の6割を占めた。10代は149人、20代は104人、30代は65人、40代は69人、50代は6人。

 佐治氏によると、沖縄師範学校62人、県立水産学校22人、県立工業学校1人、那覇市立商工学校5人、開南中1人など少なくとも学徒91人の氏名を確認した。

 戦死者数は367人で、戦死率は92%に上った。別の留守名簿(南方)の戦死率の68%を上回った。

 1944年10月、政府は防衛召集規則を改正し、防衛召集の対象として17歳から45歳までの男子を根こそぎ動員できるようにした。12月には防衛召集規則を再度改正し、志願によって兵籍に編入された14歳以上も防衛召集の対象とした。

 一方、沖縄戦に動員された学徒らのほとんどは、正式な志願手続きを経ずに召集された。留守名簿(沖縄)には、17歳未満を兵士として少なくとも25人確認できた。

 佐治氏によると、軍属も法的に動員根拠はないが、留守名簿(沖縄)には兵士以外の軍属が141人確認された。

 留守名簿(南方)は少なくとも1016人の氏名が記載され、本土出身者が中心で、県出身者は280人。鉄血勤皇隊で故大田昌秀氏(元知事)の記載はあったが、ほかの学徒兵の記載はほとんどなかった。
 (中村万里子)