戦没した7610人の名札を慰霊碑に 新・県教育会館、平和学習の場つなぐ


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新築移転した県教育会館の「教育関係戦没者慰霊碑」に7610人分の戦没者の名札をはめ込む県教職員組合顧問の佐賀裕敏さん=13日、那覇市大道の県教育会館

 「戦争のむごさを改めて痛感する」―。那覇市大道に新築移転した県教育会館で13日、沖縄戦で命を奪われた児童生徒や教職員7610人の名札を、館内の「教育関係戦没者慰霊碑」にはめ込む作業が進められた。市久茂地の旧会館からの移設に伴う作業。県教職員組合(沖教組)の職員が一つ一つ丁寧に、木枠に名札を収めた。

 県教育会館は日本復帰前の1954年、久茂地に建てられた。復帰闘争の拠点や沖縄戦で犠牲になった教職員、児童生徒らの慰霊の場として建設が進められた。復帰後初の知事を務めた故屋良朝苗氏が主導した。慰霊碑は沖縄の仏壇をイメージしており、位牌(いはい)を模した名札に戦没者名が記されている。

 大道の新会館では、4階に慰霊碑が設置された。名札は市町村別に、本島南部の「糸満村」から順に並べられた。「新垣正徳」「新垣正宏」「新垣正仁」…。「正」の字が入った名札が続いた。「兄弟で亡くなったのではないか。親と離れていたのかもしれない。どう亡くなったのか。胸が苦しくなる」。顧問の佐賀裕敏さん(61)は時々手を止めて、大きくため息をつきながら作業を進めた。

 「この大きな慰霊碑に、こんな小さな名札がびっしりはめ込まれる。とても暗い気持ちだ」。名札の大きさは縦10センチ、幅1センチ。慰霊碑の木枠は縦約2・5メートル、横約7・2メートルで、そこに名札がびっしりはめ込まれた。

 中央執行委員長の上原邦夫さん(59)は「この慰霊碑を見るだけでも、戦争の悲惨さを感じられるはずだ。今後はこの場所を平和学習に活用してもらいたい」と願った。

※注:「新垣正徳」の「徳」は「心」の上に「一」