<仲井真元知事インタビュー詳報>沖縄振興計画「もう一回延ばしてほしい」


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 1972年に米軍施政下にあった沖縄が日本に復帰してから今年で49年。復帰時から10年ごとに、5次にわたって続いてきた沖縄振興計画の期限が来年3月末で切れる。沖縄県は新たな振興計画の制定を国へ求めている。第4次(02~11年度)と第5次(12~21年度)の振興計画の制定時にそれぞれ知事を務めた稲嶺恵一氏と仲井真弘多氏に、新たな沖縄振興の必要性や基地問題を背景とした政府との距離感などを聞いた。

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新たな沖縄振興の必要性について語る仲井真弘多元知事=2021年5月、那覇市

 Q:新たな沖縄振興計画(振計)の必要性は。

 A:僕はまだ必要という結論ですけどね。ただ10年前から『もういらないんじゃないか』っていう声は、東京サイドからはいろいろ出てきていたのはありましたからね。

 こういった声は絶えず10年ごとに出ますからね。特に今回は日本国中が、新型コロナウイルスの影響を受けている。日本経済はコロナ以前にも力を少し弱めてきてた中、さらにコロナが加わった。だからもう沖縄もいいとこまで来ましたよねっていう感じで、思っていると思うんですね。

 表向きはね、沖縄は元気があるでしょう。テレビに出る人もいてさ、吉本興業で活躍してるし、スポーツで活躍している人もいる。 

 だけどやっぱりね、コロナがね、どんなふうな影響を与えるかっていうと、本当に人間、飯も食っていけなくなるんじゃないかって思うぐらい。日本全国でものすごい経済的な傷を与えている。ただ沖縄の方がやっぱり傷は深い。脆弱(ぜいじゃく)なんですよ。歴史が浅い。

 沖縄振興特別措置法ができたのは、沖縄だけが切り離されて日本国が独立したっていう1951年(注・51年条約締結、52年発効)の話がある。その後、佐藤栄作さんが首相で一生懸命やって、1972年に日本復帰を実現してくれた。あれから約50年。日本国政府もね、日本国民も、って言うと変だけど、本当よくやってくれた。沖縄に対するシンパシーを非常に強く持っていた。政府の人も、国会の先生方もね。これは各政党だいたい全部ですよ。保守革新は関係なくシンパシーを持ってやってくれました。

 沖縄振興で、一番印象的なのはやっぱり完全失業率です。やっぱりね、人口が増えると就職口がない。しかも沖縄のこの、島々で出来上がってるこの圏域は、経済ないしは経済政策を展開していくにしても、非常にちまちましたのが集まってるっていう感じだ。

 市場としても分断されている。本土からも離れている。アジアの中にいると言っても、香港まで2時間半ぐらいかかっちゃう。東京とほとんど同じだから。いや台湾が近いしても。この立地点は経済的に大発展していくんにはね、なかなかハンディだ。経済発展していくのにはマイナスみたいな状態になってんじゃないかと僕は思います。

 だけど完全失業率はね、だいたい全国の平均になり、コロナ前には全国の中間より改善されているようなときがありました。これが僕には極めて印象的な現象だったと思っている。こんな時期が来るものなのかと。この何次にもわたる沖縄振興法の積み重ねがあるんだ。

 

 

新型コロナウイルスの感染拡大による緊急事態宣言が出され、国際通りからは観光客の姿が消えた=5月24日

■雇用生むため「やろう」と

 僕は県庁に行って一番印象に残っているのは、日本中駆け回って企業誘致にたけた職員が結構いるんです。やっぱり一番必要なのは、企業誘致なんです。雇用が発生するでしょう。職員の中に何人もね、日本国中、いやアジア中を回る人がいたんですよ。

 観光産業は(墓参観光の)糸満から始まってね。最後は下地島。世界的ブランドのホテルが来ている。これも一種の企業誘致でね。こういう観光についてもいろんな計画を何回にもわたって県でも作ってきた。

 

 よくよく分析をすれば、僕の前の知事の稲嶺恵一さんがやっぱりベースを作っていた。でもこれは何も稲嶺さん、1人じゃないです。やっぱり何代にもわたる積み重ねでもある。稲嶺さんの感覚と僕の感覚はほぼ似ているところがあってね。やっぱり沖縄ぐらいの経済サイズのところはね、抽象的な目標じゃなくて、具体的に描けるような、例えば何千何万人の労働力が余っているところへ、雇用改善に向けて何社を誘致すればいいじゃないかというように。要するにこんな単純なことでもね、改善できるっていうか。稲嶺さんの場合は性格が非常にジェントルマンだからね。ゆっくりした感じ。僕はね、もっとエンジンを吹かしたわけ。この差だね。

 たいてい稲嶺さんの時にできていた。スタートできてたんですよ。それで県庁職員に発破を掛けたら、『やろう』と目の色変えて動き回り始めてたんです。僕が行った時期がちょうど良いタイミングだったわけだ。

 Q:仲井真さんも言うように、失業率の改善には一括交付金というのは、大きな成果があって寄与したと思う。これを獲得するまでの交渉や経緯はどうだったか。

 A:これはまたいずれ(話す機会は)改めてですね、いろんな微妙な部分があるから。ただ当時は東日本大震災もあったいろんな時期ね。政権も民主党になっていた。でもよく話を聞いてくれましたよ。だからまだその人たちは国会に残ってると思うから。国会の中の議員一人一人を含めて政党をね、しっかり味方に引き込んでほしい。

 沖縄には(他県にはない)四つの特殊事情がある。離島だけで成り立っているとか、それから本土から離れている。歴史、戦争の体験、基地の存在も踏まえてね。やっぱりこういうものがやっぱり他の県と比べてね、非常に特殊な事情を持っている。

 これがまだ解消されてない。やっぱり特殊事情は残ってますからね。基地だって残っているし。いろんなことを踏まえて、やっぱり振計を今やめる理由はね、むしろないんじゃないかと思う僕は。ようやく沖縄が1本立ちできる時期に来はじめたところだ。足腰の弱さがあるからもう一回延長してほしいと僕は思う。

■「政治力」は政治家だけのものでない

 Q:振計の延長・拡充には政治力が必要だ。

 A:そうです。ただ政治力というのは何もね政治家でバッジつけてる人たちだけじゃないんですよ。いろんな団体もね、あればあなたがたのマスコミの団体もあるでしょ。いろんな団体各層ね。これが一斉に動くとね、もうすごいパワーになる。バッジつけている人だけでなくて、プラス大勢。政治力と理屈がうまく合えば力になる。

 あとは、僕が感じるこの50年の一番の成果はね、やっぱりみんながね、自信を持ったことだと思うんだよね。ウチナーンチュがね。沖縄の企業が全てね。

 自立自存の精神だね。自立経済とも言ってるけどね。いらない卑下はしないでね、ちゃんと自分で責任持って自分でやりますよと。自分たちで沖縄振興計画も作ってね。ちゃんとした人間の誇りを持ってやっぱりやるというね。

 沖縄科学技術大学院大学(OIST)もあるでしょ。基礎研究を中心にやってるけど。これは尾身幸次さん=元沖縄担当相兼科学技術政策担当相=ていう、すごい人のおかげです。カルテック(カリフォルニア工科大)並みにしようとね、設立に尽力してくれた。科学振興のためにあと何百人か研究者を増やす必要がある。これはお金がかかりますよ。だけどこれは沖縄のためだけじゃない。日本全体、世界全体のための基礎研究をしっかりやらないとね。日本はこういう基礎研究にね、あまりお金を使わない。もっとみんなで応援してあげた方がいい。この成果はね、沖縄の人だけじゃないと、日本中、世界中どこでも恩恵があるんだから。

■「結論ありき」とんでもない

 Q:5月の自民党沖縄振興調査会では次期振計の「単純延長は厳しい」という発言があった。

 A:沖縄の意見を聞いてほしい。結論ありきはとんでもない。そういう発言が出るとは、もうある意味で沖縄が同列に来たっていういうふうにも理解できるよね。いろんな意見や対立するものがあってもさ、初めからノーは駄目だと僕は思いますよ。

 しかもこれから安全保障の話も出てきますよ。

 Q:米軍基地の過重な負担は変わっていない。

 A:そうそうウエート(比重)は変わってないでしょ。ゆっくり減っているとはいえね。だからやっぱり残ってますよ。さて、これから先の世界はね、米中の関係も見てもね。安全保障環境は波高しですよ。非常に緊張感が高まっているでしょ。

 こういう中で、沖縄に米軍があるというのはね、沖縄の人が好むと好まざるとにかかわらず、沖縄の存在感というのは、やっぱり高まってしまってるもんだから。基地問題は一気に解決はできないですし、だからいろんなことを総合的に判断して沖縄振興の精神を考え、もう一回延長してほしい。

米軍普天間飛行場

■基地のない沖縄「ゆっくり改善」

 Q:仲井真氏が知事時代に策定した県の長期構想「沖縄21世紀ビジョン」では「基地のない沖縄」を明記した。進捗は。

 A:僕はゆっくりに改善はしていると思う。徐々に整理縮小ですよ。これが現実的だ。あの言葉を書いたのは県議会から強い注文があったからだ。基地をなくすというより、基地がなくなっていくような環境を作っていくのために、われわれも貢献しようじゃないかと。基地が少なくなり整理整頓され、結果としてなくなるような状況が生まれるような貢献はやろうじゃないかと。そういう理解でいこうと議会の提案を受け入れたんです。

 ただ基地が全くなくなるというのは、もうかなり現実問題無理があります。むしろ安全保障の緊張は高まってる感すらあるでしょう。もう少し現実的にわれわれ自身の振る舞いを考えないとね。どんな風になるか誰も予測不能だけど。努力はしないとね。逆に沖縄のこの地域の安定ってのは非常に重要だからね。それは留意してほしいね。

 Q:基地と振興のリンク論についてはどう考えるか。

 A:これはね、いろんな考えがあるんですが。必ずしもね、(政府は)直にリンクさせてるかっていう感じもないけど。日本全体としてのある種のシンパシー(同情、共感)がある。日本が変な戦争をやったことも含めてね。それとまたこういう特殊な事情を持ってるような地域についてはね、何も基地だけじゃなくてさ。特に離島が多いのでユニバーサルサービスを受けられるようにしようとは、明らかに政府の念頭にはある。

 基地があるっていうのがですね、ここでもっとどれくらい(振興の)プラスアルファになってるのか、僕はよく知りません。

 Q:日本への復帰から50年間、歴代の沖縄県知事は政府との距離感をはかりながら県政運営をしてきた。県知事の役割とどう考えるか。

 A:難しいです。こういうのは、稲嶺恵一さんに質問してきて(笑)。俺苦手なんだ。僕らは産業新興、経済を中心にね、もう何でもいいからちゃんとした生活がねできるようにねと。今子どもは塾とか含めてあっち行きたいこっち行きたいって大変でしょ。お金が全国平均くらいないとさ。

 でもそういう補助だけでやったら駄目でさ。でも沖縄みたいなこんな島々の経済自立は難しいですよね。それでもね、乗り越えられると僕は思っている。自立自存の標語は沖縄の人はゆっくりこれをかみしめつつあるんじゃないかと僕は思います。米軍基地は本当に難しい。難しいのは、日本国が戦争して負けたからでしょう。そっから原因があるような気がする。ちょいと僕らじゃ扱いにくい。よく勉強してる人にね、整理してもらわないとね。

 Q:基地の整理縮小は政府が決めることだと。

 A:政府しか決めきれないって実際ね。ただわかりませんよ、いろんなことがあるから。ただ安全保障は政府の一番大きな任務でしょ。

■「オール沖縄」だけでは作れない

 A:政府側の予測はできないが、正直言って玉城デニーさんの『オール沖縄』だけでは、われわれが希望する振計は作れないと思う。沖縄全体で行かないとね。デニーさんはさ、もう少し自信を持ってほしいね。経済をあんまりやらないよね。ほとんどの人が働いて、お金もらって生活して子どもを育てるんですから。経済をしっかりやらないとね。そこら辺が薄いように見えます。デニーさんには頑張れと言いたい。そんなにね、めげないでね。基地問題で(政府と)態度が違うからといって、それとは別だって主張するべきだ。今までの(本土からの)熱い支援をわれわれは大変感謝してて、もう少しだけだからと。全部お返しできるからね、と言うべきだと思いますよ。

 沖振法には制度がいくつかある。沖縄振興開発金融公庫と税制、予算、法律、計画。計画もね、地域が自分で作るということは、本当に自信になる。市町村もきめ細かくさ、自分でどんどん施策を出してね。これは効き目がある。ヤマト(本土)で考えた理由よりも自分たちの必要性から上げてきた計画だから。地域によっていろんな能力があるから、引き続き地元に振計を策定させる仕組みは上等だ。次期振計はいくつかの仕組みを残して単純延長。これを大きな声で言うべきだ。

 Q:1972年の日本への復帰はどう感じたか。

 A:ようやくね、日本人になったなって感じだったよ。ようやく日本国籍を取ったって。なんか変な表現だけどね。僕も東京で、通産省(現・経産省)に入るときにね、人事課から『沖縄となっていて、日本人じゃない。一回チェックしましょう』って言われ、俺これ入省していいのかって。こういうちょっと違和感がある経験って山のようにあったからね。特殊に見られてたのが、もういわゆる普通の地方出身だっていう、そういう当たり前のあれになった感じはありました。

 自信過剰だったかもしれないが。ただね、飲み屋に行ってもさ、ウチナー飲み屋よく行くしね、ヤマトの飲み屋よりかは。なんかやっぱりね、どうしても沖縄飲み屋にいったら居心地が良かった。少し安定感があって。