りゅうちゃんと個性的なコメンテーターがニュースを分かりやすく紹介する「そこが知りたい! なるほどうちな〜ニュース」。今回のテーマは「沖縄戦」です。沖縄は戦場となり、多くの人々が命を落としました。どのようにして沖縄が戦争に巻き込まれていくのか、政治と経済の事情通「石がんとーさん」とりゅうちゃんが解説します。
もう少しで「慰霊の日」だが、何の日か分かるかな?
沖縄戦が終わった日!
うーん。少し違うな。正確に言うと6月23日は、沖縄で米軍と戦っていた日本軍の組織的な抵抗が終わった日だ。沖縄で指揮していた日本軍の牛島満司令官が自決したんじゃよ。22日という説もあるがの。
戦争を終わらせるためには国同士で約束を結ばねばならないが、それが行われたのはもう少し後だった。だから、23日を過ぎても亡くなった人はたくさんおる。
へぇ。でもなんで沖縄で戦争があったの?
当時、日本は世界の国々と戦争をしていた。ドイツやイタリアと手を組んで、アメリカやイギリスなどの連合国と戦っていたんじゃ。いわゆる★第2次世界大戦じゃな。日本軍は1941年12月にハワイの真珠湾を空襲し、アメリカとのアジア・太平洋戦争が始まった。
米軍はそのあとすぐに沖縄に攻めて来たの?
いや、最初は日本が持っていたアジアや南太平洋の島々の植民地が戦場となった。戦いが長期化するにつれて、物資の乏しい日本は劣勢になったんじゃ。そして日本本土を攻める拠点とするため沖縄を占領しようとしていた米軍がどんどん迫ってきた。
なるほど。
44年10月10日には大きな空襲があった。日付にちなんで「10・10空襲」と呼ばれているが、聞いたことはあるかの?
奄美から八重山まで南西諸島全域で大きな被害があり、668人が亡くなったんじゃ。それから次第に空襲が激しくなっていった。
米軍が上陸する前にもたくさんの人が亡くなっていたんだね。
空襲が激しくなって、日本軍は「本土決戦」の準備を始める。少しでも本土に攻めてくる米軍の戦力を消耗させるために、日本軍は沖縄で時間を稼ぐという「持久戦」を考え、決行したんじゃ。そのせいで多くの住民が地上戦に巻き込まれ、犠牲になったんじゃよ。
ひどいりゅ〜。
そんな戦争に巻き込まれ、生き残った人はもう70歳以上になる。わしらは体験者から実際に話を聞ける最後の世代じゃ。つらい記憶を話すことは苦しいことだが、自分の体験を今の子どもたちに伝えたいと勇気を出して伝えている体験者もおる。南風原町に住む野原清子さん(79)もその1人じゃ。南風原町で生まれ育ち、7歳の頃に沖縄戦を体験した野原さんの物語を読んで、「もし、自分だったら」と考えてみてほしい。野原さんの体験から当時の様子を想像してみよう。
(2017年5月28日掲載)
※【ワークシート付き】本島南部で激戦 住民が犠牲に…沖縄戦は6月23日以降も続いた に続く。