きょう慰霊の日 薄れる沖縄戦理解 日米、根底に「軍の論理」 「教訓」認識 県民と隔たり


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 沖縄県は23日、1945年6月に日本軍の組織的戦闘が終結してから76年となる「慰霊の日」を迎えた。在日米軍専用施設の70・3%が集中する過重な基地負担は解決されないまま、政府は県民の多くが反対する名護市辺野古の新基地建設を強行する姿勢を崩していない。政府や与党からは「抑止力」を根拠に在沖米軍基地の駐留意義を強調する発言も相次ぐほか、沖縄戦の歴史認識を巡り無知や誤った発言も相次ぐ。防衛省は南西諸島の防衛に重点を置き、米軍と自衛隊の「一体化」が進むなど、新たな基地負担も押し付けられようとしている。

 おびただしい数の住民を巻き込んだ沖縄戦から76年。23日の「慰霊の日」を前に、加藤勝信官房長官は22日の記者会見で、沖縄全戦没者追悼式を「多くの生命、財産などが失われた歴史に鑑み、毎年開催されている重要な式典」と述べ、政府として沖縄に向き合う姿勢を示した。

 だが、これまでの政権幹部からは、日本軍の敗北から戦闘的な「教訓」を見いだし、抑止力や有事を盾に沖縄の過重な基地負担を是認するような発言もあった。

 米政府は沖縄戦を「第2次世界大戦の武勲」「自由と民主主義を共有する日本との同盟が得られた」と強調。軍民混在の地上戦を経験し、「軍隊は住民を守らない」という最大の教訓を得た県民の認識とは大きな隔たりがある。

 抑止と国民保護

 2006年12月の国会答弁。久間章生防衛庁長官(当時)は沖縄戦に言及して「基地があると攻撃が後回しになる」と、米軍嘉手納基地への地対空誘導弾パトリオット(PAC3)配備を正当化した。

 鉄血勤皇隊として沖縄戦を体験した元知事の大田昌秀参院議員(当時)は国会で久間氏に質疑し、「基地を抱えることでいざというときにターゲットにされる」と、基地があるが故に狙われると訴えた。

 武力攻撃時などに自治体が避難を指示・誘導することを定めた国民保護法の策定時には、政府は沖縄戦を研究対象とした。

 07年6月の国会答弁で麻生太郎外相(当時)は「戦闘予定地域から自国住民を強制的に撤退させることができなかった。沖縄戦から学ぶべきはこの点」と意義を語った。

 沖縄戦で、米軍の猛攻を受けた日本軍は壊滅状態に陥ったが降伏せず、首里に置いた司令部を放棄し、多くの住民が避難していた本島南部に退いて戦闘を継続したことで、死傷者が膨らんだ。

 米国の「武勲」

 米政府の沖縄戦への認識は、米兵たちが「血を流した戦場」という点が強調される。20年6月に沖縄戦終結75年でホワイトハウスが出した声明は、戦死した米軍人約1万2千人への敬意を示した。「82日間の戦闘で、23個の名誉勲章が贈られた」と誇示する。

 米兵らの犠牲が「自由と民主主義を共有する日本との同盟を築いた」との認識も示した。

 沖縄国際大学の前泊博盛教授(安全保障論)は、基地負担や有事法制を肯定する政権幹部や、兵士の英雄性を強調する米政府の認識の根底に「軍の論理」の存在を指摘する。

 麻生氏が「沖縄戦の教訓」とした有事の際の自治体の避難誘導について、前泊氏は「ミサイルが飛来しても、隠れる場所や逃げる手段が確保できない」と実効性を疑問視する。南西諸島への自衛隊配備や、土地利用規制法の成立などにも「軍の論理」が表れる。

 前泊氏は「『軍の論理』は県民の『民の論理』と交わることはない。日本や米国にとって沖縄戦は何だったのか、政策決定者に改めて考えてほしい」と訴えた。 (塚崎昇平)