糸満市真栄平の金城守正さん(84)は戦時中、自宅近くに掘った防空壕に年上のいとこと一緒に逃げ込んでいた。戦況が悪化したある日、米兵が壕に手榴弾(しゅりゅうだん)を投げ入れた。入り口近くにいたいとこは犠牲になったが、奥にいた金城さんは生き延びた。
当時は8歳。空におびえる日々だった。「小さな飛行機が空を飛ぶと、その後にB29が来て爆弾を落としていった」という法則を幼いながら見つけ、難を逃れていた。
自宅には日本兵が駐屯し、防空壕で暮らす金城さんらに食料を分けてくれたという。「防空壕にいたのは2、3週間くらい。食料もあったし、恵まれていた方だった」という。
防空壕生活は一瞬で終わった。手榴弾による大きな爆発の後「出てこーい」という米兵の声が聞こえた。いとこは大けがをして「水を飲ませてくれ」「一緒に連れて行ってくれ」と言っていたが、どうすることもできず、金城さんは真っ裸で防空壕から出た。米兵といとこの声は、今も忘れられない。
平和の礎には兵隊だった父、ひめゆり学徒だった姉の名前が刻まれている。父や姉の名前の近くにいとこの名前も刻まれており、毎年一緒に手を合わせる。戦時中は手に入らなかったジュースや山盛りのお菓子を供え、平和を祈った。
(稲福政俊)