開発で実態知れず消滅 「文化財」の認識普及を 山本正昭氏<爪痕は語る 戦争遺跡継承の課題>1


社会
この記事を書いた人 Avatar photo 大城 周子
2015年に記録保存された宮古島市の下地イリノソコの陣地壕

 沖縄戦から76年。戦争体験者が高齢化する中、戦禍の教訓を伝える手段として戦争遺跡の重要性が増しているが、調査や保存できないまま開発などで既に消失した戦跡もある。第32軍司令部壕や海底に眠る爪痕、米軍基地内に存在する戦争遺跡などは調査に大きな課題がある。貴重な戦争遺跡を調査し保存・活用していくために必要な視点について識者に寄稿してもらった。

■消えゆく戦禍の跡

 沖縄県内に所在する戦争遺跡は現段階では1076カ所とされている。これは2014年度段階の調査実数であり、その後において新規発見されている戦争遺跡が多数あるのと同時に、開発行為等によって失われてしまった戦争遺跡も存在しており、1076カ所はあくまで14年度時点の実数である。

 沖縄県教育委員会が毎年刊行している『文化財課要覧』を見ると、ここ10年のうちに宅地開発や道路工事等によって発掘調査された遺跡は別表の通りであり、戦争遺跡は毎年のように失われてしまっている現実がある。

 沖縄県内にて開発行為が原因で発掘調査された遺跡数は年間40~80件の間を推移しているが、そのうち戦争遺跡の調査数は別表にあるように最も高い年度でも5件と、とても少ない印象がある。しかし、ここに上がってくる戦争遺跡は文化財保護法第93、94条により沖縄県へ申請された件数を示すものであり、周知の埋蔵文化財として登録されていることが前提となる。

 つまり、周知の埋蔵文化財として認知されていない戦争遺跡についてはその実態が明らかにされないまま、開発によりひそかに消滅している惨状にある。

■解決の糸口

 このように人知れず消滅している戦争遺跡については、文化財として認識されていないことが大きな要因として挙げることができる。沖縄県内の市町村で文化財指定されているのは現在20件であり、決して数が多いとは言えない。

 さらに、各自治体によって戦争遺跡に対する取り扱いにも温度差がある。それは現在における市町村の文化財専門職員での対応はどうしても不十分なところが多く、戦争遺跡まで文化財保護の網を広げていくことにおのずと限界が生じることに関係している。人知れず消えゆく戦争遺跡の状況を少しでも打開するためには、各自治体の文化財部局の強化を図っていくことが、この問題を解決する糸口になることは言(げん)を俟(ま)たない。

 沖縄県全面積のうち約8・2%を占める米軍基地内にも戦争遺跡が残されている。沖縄県立埋蔵文化財センターが10年から14年にかけて調査を実施し、その成果をまとめた『沖縄県の戦争遺跡』にも数カ所の戦争遺跡が取り上げられている。 しかし、全体からするとこれらの成果は氷山の一角であると見ることができる。

 米軍基地内に所在する戦争遺跡の全体像が明確になってこない主な理由としては上記の文化財保護法が及ばない土地であることが指摘できる。

 このことは、県や市町村による文化財調査が大きく制限されていることに加えて、米軍基地内の開発行為において戦争遺跡が不時発見された場合でも戦争遺跡として報告する義務は生じない。ここにも沖縄県内における戦争遺跡の実態が把握し難い状況を見て取ることができる。

■記録・保存の姿勢

 ここ5年の中で文化財保護法第93、94条にて沖縄県へ申請された戦争遺跡、すなわち開発行為によって記録保存された戦争遺跡の数が最も多いのは下地イリノソコの陣地壕など含む宮古島市の4件である。

この数字は消えゆく戦争遺跡を漏れなく記録保存していこうとする宮古島市教育委員会の戦争遺跡に対する積極的な姿勢と見て取れる。これを実現させているのは宮古島市内で戦争遺跡の詳細な分布調査を実施していることがその基盤にある。

 この調査では宮古島市を5地区に分けて戦争遺跡の悉皆(しっかい)調査を行い、すでに2冊の成果報告書が刊行されている。さらに、一般市民向けに戦争遺跡を紹介した小冊子『綾道―戦争遺跡編―』を16年に刊行していることや宮古島市総合博物館での戦争遺跡にスポットを当てた特別展示を11年と15年に実施しているように、文化財として戦争遺跡を広く認識させていく普及活動も熱心に行っている。

■モデルケース

 以上のように宮古島市における戦争遺跡への取り組みについては市内に残る戦争遺跡の基礎データの構築、消えゆく戦争遺跡に対して詳細な調査を通しての徹底した記録保存、そして、その成果を市民へ還元していくことで文化財としての認識を深めていくといった普及活動の3要素が円滑に連関していると見なすことができる。

 このことは戦争遺跡への取り組み方について一つのモデルケースとして示すことができる。おのおのの要素が上手くバランスを取り合いながら、行政が戦争遺跡を取り扱っていくことで、宮古島市民の戦争遺跡に対する意識も変化していくものと思われる。そして、その意識の変化は戦争遺跡の保護と活用への根本的な部分へとつながっていくものと大いに期待することができる。

 最後に、今に残る戦争遺跡を生かしていくのは現代に生きる我々であるのは紛れもない事実である。それらがなぜ失われるのか、そして残す必要が現代社会の中であるのか、残した後はどのように戦争遺跡と対峙(たいじ)していくのか、一人ひとりが基本的な視点に立って考えていくことで、戦争遺跡は新たなステージが与えられていくように思える。


 

山本正昭氏

やまもと・まさあき 

1974年生まれ。大阪府出身。専門は考古学。最終学歴は琉球大学大学院博士後期課程修了。博士(学術)。2017年より沖縄県立博物館・美術館勤務。

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