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アタビチャー 母が語った戦争動員<佐藤優のウチナー評論>


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
佐藤優氏

 筆者が小学校5年生(1970年)の6月のことと記憶している。いつも6月になると母(佐藤安枝、旧姓上江洲、2010年7月に死去)の精神状態は不安定になった。雨が続くと、14歳の時に遭遇した沖縄戦の記憶がよみがえってくるからだ。

 私は埼玉県大宮市(現さいたま市北区)のテラスハウス型団地で育った。2階建ての小さな家だったが、そこそこの大きさの庭がついていた。父が庭に柿の木とぐみの木を植え、実をよく取った。小さな池を作り、金魚、鯉、鰻、亀を飼っていた。梅雨の時期になると、どこからともなく雨蛙がやってきて鳴いている。母は私にこんな話をした。

 「沖縄の方言では、蛙のことをアタビチャーと言うんだよ。蛙を見ると戦争を思い出すんだ」

 「どういうこと」

 「沖縄戦で、お母さんが、石部隊(陸軍第62師団)に勤めていたんだけれど、そこには防衛隊の人たちがたくさん集められていた。防衛隊は、もう戦争に召集されない40代以降の人が多かった。当時の40代と言うと今と違ってだいぶ年配者だった。その中に1人だけ、20代の青年がいた」

 「身体が悪かったの」

 「そうじゃない。沖縄からアメリカに移民した家族の息子で、沖縄に一時帰国しているときに戦争になった。日本国籍は持っていなかったのだと思う。だから召集されなかった」

 「アメリカ国籍を持っていたならば、拘束されて隔離されたんじゃないの」

 「その辺りの事情はよく分からない。とにかくその青年は防衛隊に召集された。防衛隊に屈強な若者は珍しいので目立った。竹槍が与えられ、訓練させられていたが、その青年が方言で『アメリカ兵はアタビチャーじゃない。こんなもので殺すことはできない』と言った。そばにいた日本兵は方言が分からないから黙っていたが、沖縄の私たちは真っ青になった。こんなことを言っているのが兵隊に知られたら、青年が半殺しにされるからだ」

 「私は方言で『そんな非国民みたいなことは言うな』と強い調子で非難した。青年はにやりと笑って、黙った。お母さんは、あのときの様子が時々頭に浮かんできて、『あんなこと言うんじゃなかった』と後悔するんだ。あの青年もきっと戦死したと思う。少し早くアメリカに帰っていれば、戦争に巻き込まれることもなかった。捕虜になってから分かったけれど、米軍には沖縄出身の兵隊もたくさんいたよ。あの青年の家族もいたかもしれない。戦争になると、家族でも殺し合わないとならないんだよ」

 母から聞いた沖縄戦に関する断片的な話が、筆者の人間観、価値観を形成する上で無視できない役割を果たしたと思う。 

(作家・元外務省主任分析官)