「普天間飛行場の状況、真剣に捉えようとした」 ラムズフェルド元米国防長官死去、沖縄県内から悼む声


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
稲嶺恵一知事(当時、右)と握手するドナルド・ラムズフェルド国防長官(当時)=2003年11月16日、那覇市の県庁

 米軍普天間飛行場を「世界一危険」と表現したとされる、ドナルド・ラムズフェルド元米国防長官が死去したことを受け、沖縄県内の関係者からは同氏を悼む声が聞かれた。

 2003年の来県時にラムズフェルド氏と会談した稲嶺恵一元知事は、騒音問題の再検討や基地が集中することで問題が発生していることを説明し、改善を求めた。稲嶺氏は「沖縄の基地被害や騒音などを強く主張し、へそを曲げられた」と当時を振り返る。ラムズフェルド氏は会談で、在沖米軍の駐留意義を強調していたという。同氏が普天間飛行場の危険性を認識していたことにも触れ「国防総省幹部で(普天間の危険性を)明確に言ってくれたのはこの人だけではないか。状況を真剣に捉えようと努力した」と評価した。

 03年にラムズフェルド氏が来県した際、宜野湾市長だった伊波洋一参院議員は「(発言などで)普天間飛行場の危険性が世界に知られるきっかけとなった」と語る。移設に伴う名護市辺野古の新基地建設問題が解決しない現状に触れ「ラムズフェルド氏は『住民に歓迎されない所に基地は造るべきではない』との認識も示していた。地域住民の意向を無視して、基地建設を進める現状が皮肉にも指摘通りになっている」と評した。

 06年に辺野古沿岸のV字形滑走路建設に合意した島袋吉和元名護市長は「(辺野古移設の)賛成、反対が尾を引く中で、日米関係のためによく日本側との調整をしてくれたのではないか」と話した。