沖縄返還時に日本政府が最も警戒したのは、沖縄に進出した外国資本の取り扱いだった。沖縄では県益・国益論争が沸き起こり、復帰後の沖縄経済の在り方を巡って意見が対立していた。
しかし、日本政府は沖縄の県益より国内産業の保護を優先した。一例では、米石油メジャーの日本進出を阻止するため、琉球政府に(1)石油外資は50%以下に抑える(2)沖縄進出外資は日本の外資法に沿って処理する―として圧力をかけた。
仮にテキサス・インスツルメンツ(TI)のような先端企業が沖縄に進出していたら、沖縄の産業構造は根本的に変わっていただろう。外国資本のノウハウを沖縄が取り入れることができた。マーケット論的に言えば、外資はアジア市場をターゲットにして、沖縄に進出を計画したのだと思う。これは沖縄がアジアに近接し、日本の玄関口になり得ている証拠でもある。
沖縄返還時の外資政策の本質は、大の虫(本土)を生かすために小の虫(沖縄)が殺されたということだ。この事実を正面から見つめなければならない。沖縄のポテンシャルはこの時、大きく後退したと言える。
米軍施政下の1950年代、朝鮮戦争勃発(ぼっぱつ)に伴い、沖縄では米軍基地建設の特需が起きた。この時、本土の大手ゼネコンはこぞって沖縄に進出し、基地建設工事の約8割を受注して成長の礎を築いた。本土企業は沖縄で莫大(ばくだい)な利益を得たが、沖縄返還時の外資政策に関しては、日本政府は沖縄の経済復興よりも国内産業を優先する政策を押し付けてきた。
戦後の日本経済は沖縄を踏み台にして成長してきた側面がある。歴史を振り返り、決して否定できない真実だ。
(地域開発論)