<書評>『ものが語る教室 ジュゴンの骨からプラスチックへ』 推理小説さながらの学びと発見


社会
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『ものが語る教室 ジュゴンの骨からプラスチックへ』盛口満著 岩波書店・2090円

 どんな小さいモノにも物語(自然史や人間の歴史)が隠されている。本書では、モノから物語をつむぐ授業が惜しみなく披露される。自然を学ぶだけではない、自然の学び方・学ばせ方も学ぶ、未来の小学校教師を育む理想の教室が臨場感あふれる筆致で描かれる。

 著者・盛口満氏は、野外での実物観察と描写、聞き書きを大切にする研究者である。本書で著者は「一つひとつ出会ったものに目を凝らし、記述し、潜んでいる謎を解くことに心をときめかす、博物学というまなざしのあり方」に憧憬(しょうけい)の念を抱き続けてきた、と明かしている。しかし、博物学的な知識や態度だけで、本書で展開されているような生きた授業は作れるだろうか。

 本書を精読して思うのは、著者には推理小説作家のような一面があるということだ。実物を囲んで繰り広げられる学生との議論の中で、ふと著者は学生に言う。「ミステリーってジャンルの小説あるよね。ミステリーというのは謎ときなんだけど、漂着物の正体も謎ときみたいなものだよ」。思えば、イギリス最初の長編推理小説、W・コリンズの「月長石(げっちょうせき)」が書かれたのは、博物学の黄金期、ダーウィンの時代のただ中だった。

 与那国島の渚で拾った謎の骨の正体を、骨格研究仲間の意見も借り、学術論文や地域誌も渉猟(しょうりょう)しながら探り当てていく道筋などは、推理小説さながらの、著者独特の学びと発見の物語だ。授業は、そのような物語を学生がリアルに追体験できるようにも組み立てられている。理科教室は、学生も「探偵」となって、モノの「かけら」を前に推理を進め、その正体に迫っていく、ミステリーの現場となる。時に、学生の思いがけない発言から物語は予期せぬ方向に展開するから、目が離せない。

 終章は、「ダイヤモンドはつくれるか?」などの著者で、ユニークな化学教師だった亡き父親・盛口襄との対話から静かに湧き出る教師論。「教員は教えちゃだめ、共に学ぶというのが大事なの」。こうして、学びは受け継がれていく。

 (渡久地健・大学非常勤講師)


 もりぐち・みつる 1962年千葉県生まれ、沖縄大学長。通称「ゲッチョ」。著書は「めんそーれ!化学」「琉球列島の里山誌」「ゲッチョ先生のトンデモ昆虫記」など多数。