平和な世 次世代へ 宜野湾喜友名「友魂の塔」建て替え 体験者「戦二度と」


社会
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 【宜野湾】沖縄戦などで亡くなった地元出身者を刻銘する宜野湾市喜友名の「友魂の塔」が建て替えられた。6月23日の慰霊の日、喜友名自治会(知念桂子会長)は塔の除幕式と慰霊祭を実施した。沖縄戦を体験した喜友名の當山富美さん(97)と誠篤さん(93)夫婦は塔に刻まれた人々の鎮魂を祈り、「戦争は絶対にやってはいけない」と平和への思いを新たにした。

 塔は1959年に建立され、62年経ち、老朽化でひび割れが進んでいたという。また、遺族から追加刻銘の希望もあり、元々あった97人に新たに95人を加え、計192人を刻銘した。

 遺族の中には、刻銘されている糸満市摩文仁の平和の礎に慰霊で訪れる人もいたが、高齢化などで平和の礎に行くことが難しくなっている。

 沖縄戦当時、富美さんは21歳で、0歳の長男と喜友名のガマに避難した。米軍が沖縄本島に上陸してから数日後に米軍に捕まり、北谷村のハンビー飛行場周辺に移動させられた。

 けがをした親戚の女性が意識があるまま、掘られた穴に入れられる様子を目撃した。その後の女性の安否は分からないが、氏名は塔に刻銘されている。富美さんは「戦争はショックで、胸が詰まる。世の中は平和であってほしい」と願った。

 当時18歳の誠篤さんは防衛隊に動員され、米軍上陸後は島尻方面にいた。激戦地・摩文仁周辺で多くの遺体を目の当たりにしたという。自決用に手りゅう弾を持っていたが、「故郷に帰りたい」気持ちで生き抜いた。富美さんら家族の安否も分からぬまま、捕虜としてハワイに移送された。終戦から約1年後に帰沖し、家族との再会を心から喜んだ。

 戦後の混乱を経て、當山さん夫婦は今、多くの家族に囲まれる。命に感謝し、塔の建て替え費も多く寄付し、戦争の悲惨さや平和の大切さを次世代につなぐ思いを強くしている。

建て替えられた「友魂の塔」と手を合わせる宜野湾市喜友名の知念桂子自治会長=6月23日、同市喜友名(自治会提供)
「友魂の塔」が新しくなり、平和を願う気持ちを新たにする當山富美さん(左)と誠篤さん=7月13日、宜野湾市喜友名