「時間がかかってごめんな」姉の生きた証を戸籍に 戦後76年経て実現


社会
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沖縄戦で命を落とした姉・千枝子さんについて語る伊芸健優さん=1日、金武町屋嘉

 【金武】優しかった姉が生きた証しを残したい―。金武町屋嘉の伊芸健優さん(81)は今年3月、沖縄戦で亡くなった長姉・千枝子さん=享年18=について、戸籍登載の手続きを完了した。千枝子さんの名は沖縄戦による混乱で、戸籍から漏れたままになっていた。戦後76年。伊芸さんは姉の遺影に語り掛ける。「やっと家族がそろった。時間かかってごめんな」

 伊芸健優さんは5人きょうだいの末っ子。1945年の沖縄戦終結時は5歳だった。13歳離れた千枝子さんは、弟妹の面倒をよく見る優しい姉だった。

 同年3月末に空襲で屋嘉区が全焼し、区民は恩納岳に避難した。千枝子さんは栄養失調でやせ細っていた伊芸さんをおぶって歩き、身を隠した壕でも炊き出しをし、家族や親戚のためによく働いたという。

 4月の米軍上陸後、伊芸さん一家は石川収容所に収容されたが、そこで千枝子さんはマラリアにかかった。米軍の診療所に運ばれるのを怖がり、十分な治療を受けられないまま6月20日に亡くなったという。

伊芸千枝子さん

 金武町によると沖縄戦で旧金武村の戸籍簿は全て焼失し、戦後に村民の届け出を基に再生した。しかし戦没者については届け出がないことも多く、千枝子さんについても届けが出されなかったとみられる。

 千枝子さんが戸籍上存在しないことが、長年伊芸さんの胸に引っ掛かっていた。「僕をおぶって避難したりして無理したから病気になったようで申し訳ない。戸籍に入れるまで僕の戦後は終わらない」

 戸籍の手続きがよく分からず途中で断念したこともこれまであったが、昨年、「今度こそ」と決意し戸籍訂正の手続きに入った。町や区の慰霊碑、平和の礎の刻銘など、できる限りの資料を集め、家庭裁判所に提出した。

 約1年かけて訂正が認められ、晴れて千枝子さんの名が戸籍に載った。

 伊芸さんは「ほっとした。あのままでは死んでも死にきれなかった」と安堵(あんど)の表情を浮かべた。今でも千枝子さんを思うと涙が出る。「国はこんな小さい沖縄で戦争をして、住民を犠牲にして勝とうとした。そのせいで優しい姉さんは死んだ。悔しい。あってはならないことだ」
 (岩切美穂)