戦前の金銭出納簿、嘉手納の世相映す 大通り団の記録を町に寄贈


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
最後の記録となったのは1945年3月20日。米軍上陸前で空襲が激化する直前まで記録が続いた

 【嘉手納】戦前栄えた「嘉手納大通り」の、1928年~45年の様子が分かる「金銭出納簿」がこのほど、歴史的資料として嘉手納町に寄贈された。金銭出納簿は嘉手納大通りの通り会の役割を担った「嘉手納大通り団」が記録した。収入・支出の記録から当時の世相が分かる内容となっている。8日、嘉手納町役場で贈呈式が開かれた。

 資料は嘉手納大通りで商店を営み、大通り会で書記会計を務めた故・西平守有(しゅゆう)さんが記録した。長男の故・守一郎(もりいちろう)さんに受け継がれたが、今年5月に守一郎氏が亡くなり、妻の清子さん(78)=同町嘉手納=が町で役立ててほしいと寄贈に至った。

1928年~45年の嘉手納大通りの様子がうかがえる、「金銭出納簿」

 金銭出納簿には主に、嘉手納大通り団への加入金や芝居小屋の警戒料(警備料)などの収入、鉛筆やろうそくなど備品の支出が書かれている。1940年ごろからは「出征選別金」や「供出豚負担金」など、戦争体制に向かう様子も確認できる。

 清子さんによると、守有さんは戦争で北部に避難する際、金銭出納簿をちりめんで包み、腰に巻いて大事に持ち歩いたという。守有さんの死後は守一郎さんが出納簿を受け継ぎ、守有さんの命日には「(父の)生きた証だ」と子や孫に見せて説明していたという。

 資料の寄贈を仲介し、守一郎さんと親しかった元町議の渡口彦信さん=読谷村古堅=は「戦争の時も資料を持ち歩くとはすばらしい責任感だ」と話す。當山宏嘉手納町長は「当時の大通りの状況が浮かんでくる資料だ。大切に活用して、町民にも見ていただきたい」と話した。町は現在新築工事中の民俗資料室で公開したい考え。

當山宏嘉手納町長(左から3人目)と比嘉秀勝教育長(同4人目)に「金銭出納簿」を手渡す、西平清子さん(同2人目)、渡口彦信さん=8日、嘉手納町役場