沖縄戦で父を亡くした男性、戦跡の案内本を出版 県内で平和ガイド14年務める


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戦跡ガイド本「沖縄平和ネットワーク大島和典の歩く見る考える沖縄」を出版した大島和典さん=香川県さぬき市の自宅(徳島新聞社提供)

 四国放送(徳島県)の元ディレクター、大島和典さん(84)がこのほど、戦跡を案内する本「沖縄平和ネットワーク 大島和典の歩く 見る 考える沖縄」(高文研)を出版した。大島さんの父、初夫さんは日本兵として沖縄戦に従軍し、33歳で戦死した。大島さんは退職後の2004年、「なぜ父は33歳で戦死しなければならなかったのか」という思いを胸に沖縄に移住し、沖縄戦研究に没頭。14年間、平和ガイドを務めた。

 大島さんは平和の礎が設置された1995年6月23日、戦後50年のドキュメンタリー番組を制作するため、除幕式を取材した。礎に刻まれた父の名をカメラに収めていると、ファインダーの中の名前が揺れているのに気付いたという。

 頭では父の死を理解していたつもりでも、刻銘された名を改めて見ることで「やっぱり死んでいたか」と「死の再確認」を迫られたのだと、著書では説明している。当時の心境を改めて尋ねると「本当に、つらかったんだよ」と、言葉を詰まらせた。

 中高生や大人を対象とした平和ガイドは14年間で千回を超えた。著書はガイドのために書き留めたメモを編集したもので、語り口調、平易な言葉が特徴だ。激戦地の嘉数高台、最後に追い詰められた米須海岸、戦後に遺骨を集めて建立された魂魄の塔―。それぞれの場所で起きた出来事が詳細に語られ、読者はまるで大島さんのガイドを受けているような感覚に陥る。

 ガイドは17年で引退。20年に体調を崩し、故郷の香川県に帰った。「正直に言ったら、帰りたくなかった。僕は父と同じ沖縄の土になるつもりで沖縄へ行ったわけだから」。心残りのある帰省だった。

 現在、コロナ禍で平和ガイドの活動は激減している。「何も伝えられないことが一番つらい。ほかのガイドも同じ気持ちだろう」と、沖縄で活動する平和ガイドの気持ちを代弁する。ガイド本を出版したが「現地に行かないと感じられないことがある」と、戦跡を訪れる重要性を強調した。
 (稲福政俊)