沖縄初の五輪レスラーが、またも歴史の扉をこじ開けた。表彰台に上がり、メダルを首に掛けた屋比久翔平。県出身選手の個人種目初の勲章を手に取って見詰めるとぐっと胸を張り、視線を上に向けた。「すごくうれしい気持ちでいっぱいだった」。誇らしい表情とともに、ブロンズメダルがまばゆい輝きを放った。
前半に3点を先行された。相手のゲラエイは過去2度の対戦で大敗した難敵だったが、焦りはなかった。試合前に研究し「バテる傾向があったから後半に勝機があると思っていた」という。父・保さん仕込みの「前に出るレスリング」で圧力を掛け、体力を削っていった。
1点を追う第2ピリオド、残り2分。疲労の見える相手にパッシブ(消極的な姿勢)が宣告されて逆転の好機を迎える。腹ばいの相手の腰に両腕を回し、リフト技へ。ゲラエイは前に重心をずらしてすり抜けようとするが、踏ん張って逃がさない。相手の体を縦回転させて豪快に投げ飛ばし、7―3と逆転に成功した。
「しゃーっ」と叫び、大きく両手をたたいた屋比久。今大会、一度も決まらなかった得意のリフト技を大一番で繰り出し「粘って、足を入れ替えて上げることを頭に入れたことが良い形で出た」と満足そうに振り返る。その後も圧力を緩めない。「前に出なきゃ、前にでなきゃ…」。沖縄から声援を送る保さんに背中を押されるように攻め続け、大差で勝ちきった。
初の五輪。開幕前は「冷静で、いつも通り」と淡々と語っていたが、刺激を受けた県勢選手がいた。旧知の仲である重量挙げの糸数陽一と宮本昌典だ。2人ともメダルを逃したが、その映像を見て「心を打たれる部分があった」という。「なんとしてでもメダルを取ってやる」。闘争心がさらに燃え上がった。
翔平の名前の由来は「世界に羽ばたくように」。文字通りの活躍で体現し「沖縄のちびっこに夢を与えられたんじゃないか」と頬を緩める。ただ満足はない。終了後には「ぐるぐる回るのは王者の特権」と日の丸を持ってのパフォーマンスは控え目だった。「一番いい色じゃない。もっと頑張らないと」とパリ五輪の金を見据える。沖縄スポーツ界の歴史を切り開いた先駆者は、歩めを止めない。
(長嶺真輝)