<書評>『沖縄の空手 その基本形の時代』 沖縄の言葉で改めて理解


社会
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『沖縄の空手 その基本形の時代』津波高志著 七月社・1980円

 推測で語られてきた沖縄の空手の歴史を資料に基づいて改めて検討したのが本書である。信ぴょう性の高い文字資料のなかに空手に関連する記述を探し求め、空手を表す文字を確認する。しかし、残念なことに、文字に記された記録は少ない。

 そこで注目したのが言葉である。日本の民俗学を切り開いた柳田国男は、漢字を排し、人びとが用いている言葉を窓口に研究した。長年民俗学を研究してきた著者も、その方法を身につけ、言語感覚を磨いてきた。漢字はもちろん、日本語(標準語)の表現も排して、沖縄の言葉である琉球語に根拠を求めた。

 空手と唐手を共に「からて」と読むが、これは日本語(標準語)であり、琉球語ではない。沖縄では前者は「カラディー」、後者は「トーディー」なのだ。沖縄で用いられてきたさまざまな空手に関する言葉の整理は、著者ならではの見事な展開を示す。空手は早くはティー(手)で、それにさまざまな修飾語が加えられて多様な言葉が生み出された。それらの語と文字資料に登場する語を突き合わせると、唐手は19世紀で新しく、空手が古く、18世紀前半編さんの『琉球国旧記』や『球陽』に登場するという。

 しかも、その記事の内容は、編さんよりも200年も前、首里城で刺客に襲われた京阿波根実基が傷つきながらも空手で相手の股を蹴り反撃したというものである。この空手は素手の意味でなく、武芸の空手であり、空手の最古の文字資料となる。したがって、空手は沖縄固有の武芸ということになる。そして、実基を空手の「史祖」として顕彰するよう提唱している。

 沖縄のことは沖縄の言葉で理解するという当たり前のことを綿密に行い、その歴史性を明らかにしようとした知的冒険の書である。読者も読みながら自分も解釈を試みていることに気づくであろう。しかし実基を「史祖」とする辺りでふと疑問が湧くかもしれない。さらに資料を博捜して論証を進めるべき問題である。大部な書物ではないが、刺激多い一書である。

 (福田アジオ・国立歴史民俗博物館名誉教授)


 つは・たかし 1947年沖縄県生まれ、琉球大名誉教授、沖縄民俗学会顧問。著書に「沖縄社会民俗学ノート」「沖縄側から見た奄美の文化変容」、共著で「済州島を知るための55章」など。