海に消えた子ら「安らかに」…対馬丸撃沈77年 関係者のみで慰霊祭


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対馬丸の犠牲者に黙祷を捧げる対馬丸記念館の職員ら=18日、那覇市若狭の小桜の塔

 太平洋戦争中の1944年、児童や一般の疎開者を乗せた対馬丸が米潜水艦の魚雷攻撃を受けて沈没し、22日で77年を迎えるのを前に、対馬丸記念会は18日午前10時から、那覇市若狭の旭ケ丘公園にある小桜の塔で慰霊祭を開いた。

【対馬丸の沈没とは】

 新型コロナウイルスの影響で2020年に引き続き規模を縮小。今年は対馬丸記念館職員と遺族を含む関係者が出席した。雨の中、犠牲となった1484人に祈りをささげ、平和を願った。

 対馬丸記念会の高良政勝(※高の書体は「はしごだか」)理事長は「新型コロナの影響で例年通りの慰霊祭を中止することは心苦しい。御霊のとこしえに安らかならんことを願う」と述べた。

 対馬丸記念館学芸員の外間功一さんは学童を引率した教員と同世代であることに触れ、「記念館職員として小学校の出張講座や平和学習教材の製作など、子どもたちと関わることも多い。これからは導く立場として、先輩方から受け継いだバトンをつなぎたい」と話した。

 対馬丸は国民学校の児童や一般の疎開者1661人を含む1788人を乗せ、1944年8月21日、那覇港から長崎に向けて出港。翌22日午後10時12分、鹿児島県の悪石島沖で米潜水艦ボーフィン号の魚雷攻撃を受け、同23分に沈没した。学童784人を含む1484人(氏名判明分)が犠牲になった。