「本屋はメディア」ジュンク堂那覇店の店長が沖縄にこだわる理由 森本浩平さん 藤井誠二の沖縄ひと物語(30)


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 ジュンク堂書店那覇店店長の森本浩平さんが、沖縄から異動させられるなら、いっそハラを切ると言ったとか、言わないとか物騒なうわさを聞きつけ、あわてて彼の自宅に駆けつけた。

 彼は大笑いしながら「上層部との飲みの席で、これからどうしたいのか質問があり、沖縄にずっと居りたいのか?という意味だと思うんですが、ぼくは“沖縄に居たい”とお伝えしたのです。ハラを切るなんて言ってませんが、もし異動を命じられたらそのぐらいの覚悟で、沖縄に残りたいという気持ちを伝えようと思っていることは本当です。それぐらい沖縄にはお世話になったし、人生で大事なことは沖縄で教えてもらったから」とコーヒーを淹(い)れてくれた。

店長を務める書店の書棚の前でほほ笑む森本浩平さん=6月6日、那覇市牧志のジュンク堂書店那覇店(ジャン松元撮影)

起死回生の策

 兵庫県の出身。初めて店長職を務めたのは入社2年目、今から20年ほど前。神戸市の住吉にあるコープ(生協)に入っている、スタッフ30人ほどを抱えた中規模のジュンク堂書店の支店だった。地域密着スタイルで接客にこだわり、用がなくても店舗にフラッと毎日でも立ち寄りたくなるような書店作りを目指した。

 売り場で客の話し相手になることを心がけていると、本ではなく、森本さんや、他の店員さんとの会話を楽しみに客が来るようになった。どんな客でも森本さんは話し相手になった。お客さんの家に夕食に招かれたこともある。その結果だろう、5年間の在職中、売り上げは上がり続け、倍になった。

 次に任されたのが大阪市内のヒルトンホテルに入っていた支店。場所がら認知度が低く、赴任して半年ほどたっても目標の売り上げに到底達しなかったため、起死回生の策を打つ。連日、イベントを開催して、集客する作戦だ。今では全国的に著者が書店でトークライブやサイン会をするのは恒例になっているが、当時のジュンク堂などの書店ではほとんど前例がなかった。有名タレントやアイドルまで、東京の出版社や芸能事務所を回り、さまざまな「著者」を呼ぶと客が殺到した。

本屋は「メディア」

趣味の電子ドラムセットと森本浩平さん。騒音を気にせずに練習することができるので、ストレス解消に良いと話す=6月6日、那覇市内の自宅(ジャン松元撮影)

 ジュンク堂書店の創業者はその方針に険しい表情をしていたらしいが、そこは難波の商人魂か、イベントがメディアに取り上げられることが続き、店舗の認知度が飛躍的に上がっていき、3年間で売り上げは3倍になると、売り場も2倍に増床し、創業者は「森本スタイル」に太鼓判を押した。そのあとに那覇支店に異動、相変わらず週1回はイベントを仕掛けている。

 「沖縄に来た当初は関西へいつかは帰りたいなと思ってたんですが、いまはぜったいに沖縄を離れたくない気持ちになりました。大阪では出版社の人たちと数日前にアポを取ってから会うんですが、沖縄では、これからすぐ会おうとなる。そういう人と人との距離が近い感じが好きで、逆に仕事も早い」

 「県外ではブランド品や高級車を持つことが人のステータスであったりするが、ここ沖縄ではそんなことより、本来の物が持つ価値を大事にして、対人関係もストレートに互いの人間性を見ます。人間として大事なことを教えてもらった気がしているんです」

 いったん関西に戻り、2年間、大阪市の千日前店で店長を務めたが、また沖縄に戻ってきた。だから延べ10年間、沖縄で暮らしていることになる。

 「県産本」という一大ジャンルがあるぐらい沖縄は出版大国だ。県内には40社ほどの出版社がある。「“本は人生を変える”というのがぼくの信念で、そんな本との出会いを作ることが使命だと思ってます。全国的に本離れがどんどん加速する状況ですが、ぼくは沖縄の読書人口をもっともっと上げていきたい。どこよりも本が身近で、困ったとき、悩んだとき、学ぶとき、新しいことを始めるとき、あらゆる場面において、本がいつも必要とされる県になればという気持ちなんです」

 本屋は「メディア」だと森本さんは思っている。本を媒介にして人と人をつなぐ場。もちろん、本を買う目的がなくても来てほしい。そこで、思わぬ本との出会いが待っているかもしれない。ジュンク堂書店1階にあるカフェに寄ってもらうだけでもいい。県内外の著者が話す無料イベントに顔を出してもいい。だから、森本さん自身もラジオ番組などにレギュラー出演し、本を紹介しながら、本屋が潜在的に持っている楽しさや可能性を伝えるために声を振り絞ってきた。「沖縄の全ての本屋を背負っている気持ちで働いています。本屋や出版社の利益だけではないものを、本屋は生み出せる」と思っている。

沖縄の視点

 本屋の面陳(陳列台)や棚差し(書棚)には世相が反映される。話題になっている本が並ぶのは当然だとしても、例えば今だったら新型コロナ禍についての本や、政権をうんぬんする本、刻々と変化していく社会を俯瞰(ふかん)するような視点や視線がそこに表出してくる。もちろん、その本屋推しの書籍も並ぶ。

 沖縄はこの点で特異だ。ジュンク堂那覇店では「県産本」も含めて「沖縄本」といわれる本のコーナーには、1万5千点もの書籍がそろっていて、沖縄の歴史や文化について取り上げた本も多い。拙著もその中に入れてもらっている。

 そして、例えば米軍基地問題についても批判的な本はもちろん、肯定的な本も並ぶ。「内地」の本屋の書棚や陳列台には見られない、ひりひりするような雰囲気がある。ジュンク堂は大型店ゆえに、その張りつめた空気が強い。そう感じるのはぼくだけではないはずだ。

 「いろいろな考え方のお客さんがいらっしゃいます。こんな本を置くなと直におっしゃる方もいます。いい本を紹介してくれてありがとうとも言われます。ぼくは本を届けることが使命ですから、なるべくいろいろな考え方の本を数多く漏れなく置いて、さまざまなお客さんの需要に応えたいとは思います。書店の売り場で相反する主義主張の本を手に取り、自分の考えを見つけ出してもいい」

 「ごくまれに、沖縄に対してのデマや偏見、差別感情めいたものをあらわにぶつけてくるお客さんがいて、その方の主張にはその方の“正義”があるのでしょうが、現在の日本の中で沖縄が立たされている状況が表出しているともいえると思うのです。そんな状況の中でぼくは何ができるのか日々、考えています」

 毎日、200点ほどの新刊が入荷してくる。そのすべてに目を通し、どこに置くかを判断するのがルーティンワークだ。が、そのときに「内地」ではなかった感覚が自分に芽生えていることを自覚する。

 それは、何らかの「政治性」の要素が含まれている本だと、これは「沖縄」の中でどう読まれるだろうと考えてしまうことだ。

(藤井誠二、ノンフィクションライター)

もりもと・こうへい

 1974年兵庫県生まれ。ジュンク堂書店那覇店店長を2009~12年に務め、一時は沖縄県外で勤務した後、再び15年から那覇店店長を務めている。那覇市内の「ダイエー那覇店」の跡地に全国的にも有数の1500坪という売り場面積で話題になる(現在は2000坪)。15年からの「沖縄書店大賞」に携わり、19年に「この沖縄本がスゴい!」賞を創設した。店舗が建っている地域の商店街から“文化の発信”を掲げ、一箱古本市、落語祭り、クラシックコンサートなど、沖映通りでのさまざまなイベントも手掛ける。新刊書書店としては異例の古本屋が「出店」するコーナーもつくった。

 ふじい・せいじ 愛知県生まれ。ノンフィクションライター。愛知淑徳大学非常勤講師。主な著書に「体罰はなぜなくならないのか」(幻冬舎新書)、「『少年A』被害者の慟哭」など多数。最新刊に「沖縄アンダーグラウンド 売春街を生きた者たち」。