久高友之さんを悼む 沖縄の吹奏楽発展いちずに 崎山用豊


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県吹奏楽連盟創立50周年記念祝賀会で演奏する久高友之さん=2011年(県吹奏楽連盟提供)

 信じがたい訃報に唯々唖然(ただただあぜん)とするばかりで黙しがたく、ご家族のご迷惑も顧みず失礼して「トモユキ」と呼びかけたが返事はむなしく、無言のおだやかな表情のみであった。悲しくて落涙を禁じえなかった。なぜこうも早く旅立たねばならないのか、神仏に問いかけたい衝動に駆られた。

 彼との出会いは1956年ごろ、吹奏楽部の応援を頼まれ、首里高校の運動会で一緒にトランペットを吹いたことを覚えている。その頃、琉球大学吹奏楽部には大城政信氏、故屋比久勲氏が在籍し、トランペットを吹いていて彼はその仲間に入ってメキメキ頭角を現し、ジャズ界でも活躍するほどのプレーヤーになった技量の持ち主であった。

 その後、教職に就き那覇中学校を皮切りに首里中学校、小禄中学校と吹奏楽の技術・レベルアップに努め、その間九州代表として全日本吹奏楽コンクール全国大会に8回選ばれ、輝かしい成績を収めた。加えて地域に根差した吹奏楽を念頭に、那覇市民吹奏楽団の創設と指揮に尽力して文字通り吹奏楽いちずの生涯であった。

 特に印象深い演奏は昭和54年度全国大会出場での自由曲、歌劇「シチリア島の夕べの祈り」序曲(ヴェルディ作曲)は、均整の取れた品格のある演奏で「金賞」を受賞した。

 一方、組織の充実強化を図り、理事長職を長期間務め、沖縄県吹奏楽連盟30年史をまとめ発刊するなど業績は枚挙にいとまがなく、功績をたたえる渡久地政一賞が授与された。温厚な人柄の中に秘められたコード感(和音づけ)、アナリーゼ(楽曲分析)の的確さは演奏に表れて、聴衆の心をひきつけて近親感あふれる音楽の良さがあった。

 共に吹奏楽推進活動をして来た学友との別れは、生者必滅とは言え人生の無常さに思いをはせながら、ご家族の皆さまには心から哀悼の意を表し、謹んで故人のご冥福をお祈りいたします。
 (沖縄県吹奏楽連盟顧問)
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 久高友之さんは15日死去、81歳。

※注:久高友之さんの「高」は旧字体
※注:崎山用豊の「崎」は、「大」が「立」の下の横棒なし


▼県吹奏楽連盟顧問 久高友之さん死去 81歳 沖縄の音楽教育に尽力