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被写体は100人超 2人のイギリス人が沖縄の空手家を撮り続ける理由【WEB限定】


この記事を書いた人 Avatar photo 上里 あやめ
国際沖縄剛柔流空手道連盟最高師範の東恩納盛男さん=2014年9月(提供)

黒い背景に真っ白な道着が際立つ。力強く正面を見つめ、突きや受けの姿勢を取る。握った拳から伝わる空手家の気迫。

これは沖縄県内の空手家のポートレートを撮影する「空手マスターズポートレートプロジェクト」の1枚だ。これまで撮影された空手家は100人以上。流派や段位、年齢もさまざまで、一人一人が流派独特の動きや技を見せる。時には力強く顔を引き締め、時には優しくほほ笑む。

琉球伝統古武術保存武道協会の德村賢昌さん=2016年3月、うるま市勝連(提供)

プロジェクトを手掛けるのは沖縄在住の2人のイギリス人。写真家のクリス・ウィルソンさん(46)と空手家のジェームス・パンキュビッチさん(48)だ。プロジェクトを始めて9年。1~2カ月に1回のペースで空手家の撮影を続けてきた。2人が沖縄の伝統空手に着目し、鍛錬を続ける人々を撮影するのはなぜだろうか。

プロジェクトに取り組むクリス・ウィルソンさん(左)とジェームス・パンキュビッチさん=7月24日、那覇市の安里道場

 

 

■きっかけは2人の空手家

クリスさんが撮影した増田典彦さん=7月25日、那覇市の奥武山公園(提供)

7月。2人は那覇市の奥武山公園で沖縄剛柔流空手道協会の副理事長・増田典彦さんを撮影していた。クリスさんがカメラを構え、ジェームスさんは照明を当てる。「増田さんの流派にはどんな動きがありますか」「あなたが続けてきた空手を、ただ、『あなた』自身をそのまま見せてください」。クリスさんは自身の思いを伝え、何度もシャッターを切った。被写体となった増田さんは「2人が撮った写真は、20年後、30年後にさらに貴重なものになる」とプロジェクトの趣旨に共感する。

撮影の様子。技を見せる増田さんに何度もカメラを向ける=7月、那覇市の奥武山公園

日本各地の祭りなどを撮影する写真家・動画編集者として活動するクリスさんと、那覇市で空手道場を構えるジェームスさんが出会ったのは2012年。雑誌の企画でクリスさんがジェームスさんを撮影した。

「写る人の人格が見えるような強い衝撃と魅力があった」。クリスさんの写真に「力」を感じたジェームスさんは、以前から「写真を残したい」と思っていた、師匠の新垣敏光さん(範士10段)の撮影をクリスさんに依頼した。その日に同じ流派の平良慶孝さん(範士10段)も撮影した。クリスさんにとっては「ジェームスの先生2人のポートレート撮影、ただそれだけの予定だった」

最初の被写体となった新垣敏光さん=2012年3月(提供)

しかし、予定はいい意味で裏切られる。

できあがった写真には2人の空手家の心身の力強さと目の奥からにじみ出る優しさが記録されていた。ジェームスさんは「空手を長年続ける名人は、とても強くてとても優しい。平和を重んじる心を持っているところが魅力的で、そんな先生たちは『沖縄の宝物』だと思う。先生たちの存在を世の中に広めるには、この写真が最適だ」と考えた。

クリスさんもジェームスさんの思いに共感。最初は趣味のつもりで始めた撮影は口コミや紹介で広がり、いつしか「先生たちの写真を歴史的な記録として残す」という本格的なプロジェクトになった。

「カメラの性能にもこだわっている」と話すクリスさん=7月24日、那覇市の安里道場

 

 

■忘れられない撮影

 2人にとって忘れられない撮影がある。2012年6月29日に撮影した故儀武息一さん(範士10段)。沖縄空手・古武道連盟副会長を務め、沖縄を代表する空手家の一人だ。儀武さんは撮影を快く引き受け、当日は会話をしながら撮影を楽しんだ。数日後に仕上がった写真を渡したときはとても喜んでいたという。

それから約2カ月後、儀武さんは急逝した。70歳だった。クリスさんは「あのタイミングで撮っていなければ、儀武先生の写真は存在していなかった。私たちが今プロジェクトをしなければ、撮影できる機会はなくなってしまう」と実感した。

生前に撮影された儀武息一さんの写真=2012年6月(提供)

写真に写っているのは、生前の元気な姿。儀武さんの家族も同様に、2人が撮影したことを喜んだ。クリスさんは「家族が喜ぶ様子を見た瞬間から、このプロジェクトが私たちにとって生きがいになった」と話す。

ジェームスさんも思いは同じだった。「儀武先生が亡くなってから、さらにプロジェクトに力を入れたいと思った。歴史的な記録を残せなくなる前に、できるだけ多くの先生に会って写真を撮りたい」

その後も、撮影後にこの世を去った空手家がいる。撮影が実現しなかった人もいる。限られた時間の中で、1人でも多くの空手家の生きた証を残そうと努力している。

 

 

■空手は国境を越えて

空手家との出会いを通じて、空手の神髄を追求するジェームスさん=7月24日、那覇市の安里道場

県内の空手家とつながりがあり、日本語が堪能なジェームスさんは、撮影の依頼や日程調整をするなど、プロジェクトのプロデューサーだ。

イギリスに住んでいた17歳の頃、武道に興味を持ち、地元の道場に入門した。稽古を続けるうちに日本の文化に関心を持ち、大学在学中に札幌と大阪の大学に留学した。留学中も各地の道場で稽古を続け、その後、沖縄出身の女性と結婚。ロンドンでの生活を経て、2009年に沖縄に移住した。18年には自身の道場を開設。現在、子どもから大人まで30人以上が道場に通う。地元の門下生だけでなく、世界各国から空手家が稽古に訪れ、国境を越えて空手愛好家をつなぐ懸け橋となっている。

そんなジェームスさんは一人の空手家として、プロジェクトを通して空手の神髄を学ぶ。「何十年も鍛錬を続ける先生に会って話を聞くことができる。武道の技だけでなく、先生の経験から空手の精神や歴史を勉強している」と話す。

ジェームスさんのように空手に魅せられる外国人は少なくない。

 

 

■外国人から見た空手の魅力

クリスさんが撮影した空手イベント。空手家の米寿を祝うため世界各地から門下生が集まった=2019年8月、首里城公園(提供)

沖縄県が2017年に実施した調査によると、世界の空手愛好家は1億3000万人。県内の道場の3分の1は海外に支部を持つ。プロジェクトで撮影された写真は国内だけでなく海外からも根強い人気があり、ポスターや雑誌に使用されることも少なくない。ジェームスさんは「海外で稽古に励む生徒からとても良い反響が寄せられる」と笑顔を見せる。

海外での空手人気について、ジェームスさんは「空手の哲学に共感する人が多い」と語る。礼節を重んじ、平和を大切にする精神性に魅了され「同じ考えを持った者同士が仲間になる。仲間の存在や空手の文化をもっと知りたいという好奇心が、多くの人を空手家の道へと導くのではないか」と言う。

 

 

■空手家の言葉を胸に

又吉古武道光道館の與儀清美さん=2014年7月(提供)

指導者から弟子へ、口伝えで広がった沖縄空手。文献が少ないため資料が残っておらず、記録されていない歴史や流派の歩み、空手家それぞれの経験がある。2018年、2人は空手家のインタビューを収録した動画シリーズを開始し、10作品以上をYouTubeにアップしている。

2020年11月にはウェブコンテンツ「Bujin TV」を立ち上げた。サブスクリプション(定額制)で、クリスさんが制作したインタビュー動画やドキュメンタリーを配信している。海外の空手家などから支援を受け、世界各地から集めた形や稽古の動画も編集した。

「空手家の存在を記録したい」という思いでプロジェクトを続けるクリスさん(左)とジェームスさん=7月24日、那覇市の安里道場

ジェームスさんは「写真撮影のときに先生たちが話してくれた空手の哲学を、私たち2人だけが聞いて終わるのではなく、動画に残して世界中に伝えたい」と話す。

70~80代の空手家が使う言葉はうちなーぐちが多い。時には何カ月と動画制作に時間をかけ、空手家や門下生などの力を借りて、うちなーぐちを日本語へ、そして英語に翻訳し世界に発信する。

プロジェクトを通して出会った空手家の多くが口にする言葉がある。「沖縄の伝統空手を守らないといけない、一緒に守ろう」。

クリスさんは「空手家が背負っているものはそれぞれ異なる。先代から受け継いできた各流派の歴史や精神性…。きちんと記録しないと、変わってしまったり消滅したりする。私たちは先生と共に、空手の継承に全力を尽くしたい」と力強く語った。

(上里あやめ)


プロジェクトで撮影された写真や動画は、クリスさんが運営するウェブサイトYouTubeチャンネルで見ることができる。

 

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