親戚は虐殺された…アフガニスタン出身男性が語るタリバン(前編)から続く
2001年に米国がアフガニスタンに侵攻し、タリバン政権がいったん崩壊した。アフガニスタン出身で県内に住む男性は、奨学金を得て国外の大学を卒業し、研究の道に進むことができた。しかし、19年12月に一時帰国した際、再びタリバンの恐怖を感じた。今でも忘れられない「人生最低の悪夢」だという。
姉の結婚式と自身の研究のために一時帰国した時のことだ。地元はアフガニスタン北部のバグラン。タリバンが独自に設けた検問所を通過しなければならなかった。タリバンは当時の政府職員や米軍の協力者を攻撃の対象としていた。沖縄に行く前の一時期、政府職員として働いた男性は狙われる恐れがあった。
「少しでも疑われると何をされるか分からない。タリバンにとって脅威じゃないと証明しないといけない」。タリバンは教育を受けている人々も警戒しており、男性は大学で教育を受けていることも伏せなければならなかった。
携帯電話の中身を見られないよう、隣に乗っていた母に預けた。検問所が近づくにつれ、車内には緊張した空気が張り詰めた。後部座席には、タリバンに息子を殺されたおばが乗っている。男性は、目を付けられて根掘り葉掘り質問されたが「地元で暮らし、鶏肉屋をやっている」と主張して難を逃れた。
タリバンの政権掌握について、男性は「誰も予想できなかったほど早く、驚いた。私は沖縄にいて安全だが、親戚や友人は危険にさらされている。恐ろしい」と眉を寄せた。連絡を取っている親戚や友人らはみんなタリバンにおびえているという。特に「女性の人権は深刻な問題だ」と語った。両親やきょうだいは数カ月前に出国しており「出られただけでも幸運だ」と強調した。
大学卒業後、アフガニスタンに帰って再び国のために働くという目標も持っていた。だが、タリバンの再支配でその夢はついえた。現状のままでの帰国は難しそうだ。
妹も4月から沖縄に来る予定だったが、めどがたっていない。新型コロナウイルスの流行で延期している間に情勢が悪化し、アフガニスタン国外に避難したためだ。
アフガニスタンの未来について「タリバンが何をするか分からず、先行きは不透明だ」と話した。その一方で「すぐ従来の政権に戻すのは困難だと思う。せめてタリバンには包括的で民主的な政権になってもらいたい」と願っている。
(明真南斗、当銘千絵)