【深掘り】9・11テロから20年 沖縄の基地は「後付け」正当化 戦略変遷に翻弄され続け


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(左上から時計回りに)米中枢同時テロ直後に普天間飛行場内で訓練する米兵ら、中東からうるま市の米軍ホワイト・ビーチに寄港した米強襲揚陸艦、2000年代に米国が「不安定の弧」と呼んだ地域の地図、対テロ戦争のさなかに発生した沖縄国際大ヘリ墜落事故現場のコラージュ

 2001年の米中枢同時テロから20年が経過し、米国の対外戦略は対テロから対中国へ、シフトしてきた。だが、在沖米軍基地に関して、その駐留意義は「後付け」され、日米両政府は沖縄の基地負担を事実上正当化している。基地と隣り合わせの県民は米軍の国家戦略の変遷に翻弄(ほんろう)され続け、危険は放置されたままだ。

 米国がテロ直後の01年10月に公表した「国防戦略見直し(QDR)」は大規模な軍事競争が起きやすく、米軍基地の密度の低い北東アジアから中東に至る弧状の地域を「不安定の弧」と位置づけた。在沖米軍基地は2000年代、イラクやアフガニスタンへの出撃地となり、東南アジアでの対テロ作戦や災害救援にも海兵隊が出動した。在沖米軍基地は「不安定の弧」に近いとして、米政府は駐留の意義を強調していた。ただ、米国は近年、中国への封じ込め戦略を強化している。中国が西太平洋地域でミサイル攻撃能力などを高める中、在沖米軍基地の脆弱(ぜいじゃく)性も指摘されている。県の有識者会議「米軍基地問題に関する万国津梁会議」は今年3月の提言書で、在沖米軍基地の脆弱(ぜいじゃく)性が「(米軍を)日本の別の場所や地域へ再配置することが選択肢となり得る」と指摘する。一方、日米両国は対中国を念頭にした離島奪還作戦の共同訓練などを実施し、南西諸島での自衛隊配備強化も続いている。

 在沖米軍基地を米国の世界戦略の拠点とする姿勢は、県民にさまざまな負担を強いてきた。同時テロ直後、米軍基地が集中する沖縄の安全性を危惧する動きがあり、沖縄への修学旅行などの中止が相次いだ。04年の沖国大ヘリ墜落事故は、イラク派兵準備に現場隊員が追われる中で起きた整備ミスが原因となった。

 県は今年5月、万国津梁会議の提言も踏まえ「中国のミサイル能力向上と米軍基地の脆弱(ぜいじゃく)化など、アジア太平洋の安全保障環境変化を踏まえるべき」とし、国に米軍専用施設の割合を50%以下にすることなどを求める要請書を提出し、負担軽減を求め続けている。 (塚崎昇平)