全世界に衝撃を与えた2001年9月11日の米中枢同時テロは、沖縄の観光にも大きな痛手を与えた。在日米軍基地の大部分が集中している沖縄への旅行に不安が広がったことから、修学旅行を中心にキャンセルが相次いだ。沖縄観光は危機的状況に陥り、「観光は平和産業」の実感が広がる契機となった。官民を挙げた誘客キャンペーンで観光客数は回復に向かうものの、落ち込んだホテル稼働率を上げるための値引き販売などで経営体力がそがれ、観光従事者の低賃金など課題を抱えることにもなった。
米中枢同時テロ翌日の2001年9月12日、文部科学省が各都道府県教育委員会に、海外修学旅行に関する注意喚起の文書を送った。これを受けた東京など一部の教育委員会は、学校に対して「旅行中は米軍基地および施設などに近寄らないように。特に韓国、沖縄に修学旅行を予定している学校は、格段の注意を」と、沖縄を名指しした注意喚起文書を発送した。不安が広まり、多くのキャンセルが相次いだ。
沖縄県は当時の稲嶺恵一知事の名前で、修学旅行実施を呼び掛ける文書を2回発送し、国に対しても予算や対策を依頼。合計7億円の予算を計上して「だいじょうぶさぁ~沖縄」キャンペーンを実施した。
県の調査によると、テロから翌02年3月までに、修学旅行や一般の団体旅行の予約取り消しは計24万9662人に上った。年間の観光収入額は3389億9200万円と前年比10・6%減の落ち込みとなり、雇用にも悪影響を与えた。
修学旅行のキャンセルが相次いだ背景について、テロ以前から、沖縄への修学旅行を運営する県外旅行会社にとって利益の少ない状態だったことを指摘する声もある。
県内の旅行業関係者は「学校側から沖縄旅行の要望は強かったが、旅行会社にとっては競争が激しく利益は少なかった。テロ後に風評が広がる中、県外の旅行会社は他に振り替えた方が利益率が高くなり、沖縄に引き留めようという熱意はあまりなかった」と振り返る。
2000年に沖縄サミットが開かれ、観光地としての知名度が国際的に上昇。安室奈美恵さんに代表されるエンターテインメントや、01年4月に始まったNHKの「ちゅらさん」など、沖縄のブランドが向上していた。こうした「沖縄ブーム」を背景に観光が右肩上がりを見せるタイミングだったことから、米中枢同時テロによる“風評”被害の衝撃や危機感は大きかった。
県の統計では、01年に観光客1人当たりの総消費単価は同8・8%減の7万6463円となった。特に修学旅行のキャンセル分を値下げして販売したことからホテルの低価格化が進み、宿泊費は同10・3%減の2万6491円となった。
低価格化は続き、02年には沖縄オーシャンビューホテルなど、高い稼働率を保っていたホテルが営業停止に追い込まれた。
当時を知る観光事業者は「突発的な危機に値下げで対応すると、戻すのに長い時間がかかる。後遺症は苦しかった」と振り返った。
(沖田有吾)