沖縄出身の元米兵が語ったアフガニスタン戦争 続く混乱「悔しいし、むなしい」


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
アフガニスタン戦争での経験を語る長嶺ジョン翔生さん=7日、南風原町

 2001年の米中枢同時テロから11日で20年を迎えた。豊見城市出身の元米陸軍兵、長嶺ジョン翔生さん(31)=南城市=は、泥沼化したアフガニスタン戦争に米軍の一員として参加した。米軍が撤退して混乱が続くアフガニスタンの現状に、「最悪の形での撤退だ。悔しいし、むなしい」と語った。自身も軍を除隊後、戦場でのストレスに苦しむことになった。何よりタリバンの復権したアフガニスタンに、米軍への協力者が取り残されたことに忸怩(じくじ)たる思いを抱いている。

 豊見城市で生まれ育った長嶺さんは米軍基地内のアメリカンスクールに通っていた。9・11テロ時は11歳だった。学校が数日休みになり、再開後も警備が厳しくなったことで基地内に入るのに時間がかかったのを覚えている。

 高校卒業後、米陸軍に入隊し、2012年頃にアフガニスタンで約10カ月勤務した。派遣された拠点は「死の谷」と呼ばれるコレンガル渓谷の近くだった。

米陸軍時代の長嶺さん(提供)

 周囲の山に潜むタリバン兵は連日、機関銃や迫撃砲を浴びせてくる。2、3時間おきに繰り返される攻撃は、長嶺さんら米軍兵の精神や体力を削っていった。

 長嶺さんのわずか数メートル後ろに迫撃砲が着弾したことがある。爆風で吹き飛ばされたが、建物に守られて体には直撃しなかった。長嶺さんは「ばらばらになっていたかもしれない」と振り返る。

 アフガニスタンでの勤務を終えると除隊し、沖縄の実家に帰った。日常生活に戻っても1年半ほどは精神状態が不安定だった。感情が高ぶって怒りを抑えられず、祖母が「人が変わった」と周囲に漏らしていたほどだった。戦場でのストレスで興奮や緊張が続く、コンバットストレス反応だったと考えている。

 このままではいけないと考え、子ヤギの飼育に癒やしを求めた。現在は沖縄在来のヤギを「琉球ヤギ」と呼び、豊見城市の牧場で育てながら保護活動に没頭。今後、自身の目で見てきた戦争の複雑さを伝えるため、沖縄の平和学習に携わりたいという思いもある。

 アフガニスタンからの米軍撤退を受け、陸軍入隊同期の仲間と連絡を取り合うことが増えた。「国際社会がアフガニスタンへの関心を失った頃に、タリバンは米軍への協力者を殺すだろう。今からでも取り残された人たちを助け出してほしい」と願った。

 (明真南斗)