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高校生お笑い芸人だったモバイルプリンス氏、野球部キャプテンの元山仁士郎氏 普天間高校(10)<セピア色の春―高校人国記>


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2005年度の普天間祭(創立60周年記念誌「並み松」より)

 スマホやネットの使い方やモラルを伝えるスマートフォンアドバイザーの島袋コウ(34)は普天間高校の57期。「モバイルプリンス」の名で活動して9年。在校時の自身をこう説明する。

 「変に目立っていた。先輩に目を付けられた。先生から見れば面倒くさい生徒だったと思う」

島袋 コウ氏

 1987年、沖縄市山内で生まれた。山内中学校に通っているころはバスケットボールに明け暮れた。中学3年の夏、市内の学習塾で受験勉強を始め、志望の普天間高校に合格した。

 入学後、お笑いにエネルギーを注いだ。演芸集団FEC(フリーエンジョイカンパニー)に加入し、高校生のお笑い芸人として活動した。「舞台で一度も笑いを取れないこともあったが、度胸は付いた」

 高校時代の3年間、「常に自分の中で何かと闘っていた」と語る。それは先輩や教師であったり、校則であったりした。知恵を凝らして教師にも抵抗した。

 高校3年の時、学校の体罰問題を扱ったビデオを作った。「先生たちにカウンターパンチを食らわせたかった」という。タイトルは「学校に人権はあるのか」。作品の評価は教師間で真っ二つに割れた。

 沖縄国際大学に進んだが2年で中退し、千葉県内の携帯ショップで働いた。この時の経験が現在の活動につながった。

 客のクレーム処理で悔しい思いをしたことがある。

 「店に来た30歳くらいの男性客からクレームを受けた。その後の電話でのやり取りで『お前、沖縄人だろう。だから頭が悪くて、話が通じないんだな』と言われた」

 悔しさのあまり受話器をたたき付け、店の裏で泣いた。

 帰郷後、店員時代に得た知識を生かし、携帯電話やスマホを巡るトラブルに関する情報を伝える活動を始めた。メディア出演や執筆活動に加え、学校での講演も多い。かつて反目し合った教師とも再会することもある。

 「怖かった先生が『今、何が起きているのか、教えてくれないかな』と相談に来る。いい関係ができた」

 そう語り、島袋は穏やかな笑顔を浮かべる。

元山 仁士郎氏

 辺野古県民投票の会元代表の元山仁士郎(29)は62期。宜野湾市役所前でハンストに取り組み、2019年2月の県民投票実現へのうねりをつくりだした。

 1991年、宜野湾市新城で生まれ、野嵩で育った。琉球大付属小、付属中学校で学んだ。自分の性格を「正義感が強く、ズルが嫌」と語る。

 琉大付属中で野球部にいた元山は自宅に近い普天間高を選んだ。「親としては息子に勉強してほしい。僕は野球を続けたかった。『文武両道』の普天間高なら勉強も野球もできる」

 部活動に励む生徒が学校行事の中心となった。野球部キャプテンの元山も人前に出る機会が増えた。「そこそこ目立つ存在」だった。

 政治にはそれほど関心を向けることはなかった。

 「米軍基地から流れてくる君が代とアメリカ国歌を聞きながら学校で早朝授業を受けた。戦闘機が飛ぶと授業は中断した。それが日常であり、そういうものだと思わされていた」

 その意識は2011年3月の東日本大震災と福島第1原発事故によって大きく覆る。元山は東京で浪人生活を送っていた。「正直怖くて、混乱した。原発の本を読み、塾の生徒と議論をした。そこから原発と基地の問題を考えるようになった」。3・11を契機に元山は福島を見つめ、生まれ故郷の宜野湾、沖縄を見つめるようになった。

 国際基督教大学に進み、「特定秘密保護法に反対する学生有志の会」や「SEALDs」(シールズ)のメンバーとして行動した。15年には「SEALDs RYUKYU」(シールズ琉球)を組織し、安全保障関連法案の問題に取り組んだ。現在は一橋大学の大学院生。日米外交史が研究テーマだ。

 19年1月、元山が宜野湾市役所前でハンストを続けている時、若い仲間が支え共に行動した。その場には市内の高校生も制服姿で集まった。「うれしかったし、すごいと思った」

 元山の行動は同世代、そして後輩へのメッセージとして広がり、若者の新たな行動へつながった。

 (文中敬称略)
 (編集委員・小那覇安剛)

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